メソディスト(その他表記)Methodist

翻訳|Methodist

改訂新版 世界大百科事典 「メソディスト」の意味・わかりやすい解説

メソディスト
Methodist

プロテスタントの最大教派の一つ。創立者はイギリスのウェスリーJohn Wesley。英国国教会司祭として母校オックスフォード大学で教えていたとき,弟チャールズらとともに〈聖書に示されている方法methodに従って生きる〉ことを目的とした宗教クラブに属したため,メソディストと呼ばれるようになった。ジョンは1735年から2年間,アメリカ植民地時代のジョージア伝道を試みたが失敗して帰国。挫折感を味わっていたある日,回心経験をしてからは熱心に路傍や野外で説教し,各地に伝道旅行に出かけた。この説教運動が英国国教会から分離して独立のメソディスト監督教会となったのはジョンの死後であるが,それは彼が84年にアメリカに派遣した宣教師たち,とくにアズベリーFrancis Asbury(1745-1816)の伝道がめざましい成果をあげたからであった。さらにフロンティア西漸にともない,メソディストの巡回説教者は馬に乗って開拓地に伝道し,開拓者の宗教として西部に広まった。カルビニズムと違って人間の自由意志を強調するそのアルミニウス主義神学は,自力で開拓する人々の心情に合致し,さらに禁欲主義と結びついた勤勉な倫理生活を推進する力ともなり,急速に教会員が増えていった。南北戦争のとき教会も南北に分裂したが,1939年に再合同し,80年現在約1200万人の教会員がいる。

 世界各地にも宣教師を送り,日本にはアメリカとカナダからの宣教師によって伝道が始められた。青山学院と関西学院に神学部を置いて伝道者を養成し,東洋英和女学院,静岡英和女学院,山梨英和学院などで女子教育にも力を入れた。日本基督教団成立以前の日本における三大教派(あとは日本基督教会と日本組合教会)の一つで,信仰経験を重んじ禁酒禁煙運動などに熱心であった。戦後も日本基督教団にとどまっているが,1860年にアメリカで結成されたフリー・メソディスト系の日本自由メソヂスト教団は戦後教団から離脱した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「メソディスト」の意味・わかりやすい解説

メソディスト

プロテスタントの一派ウェスリーの信仰覚醒(かくせい)運動に端を発し,1795年正式に英国国教会から分離して成立。〈聖書に示されている方法methodに従って生きる〉とのモットーからこの名がある。概して社会的関心が強く,教育・社会事業・外国伝道等に力を注ぐ。日本には1873年米国のメソディスト教会宣教師R.S.マクリーによって伝えられ,1907年日本メソディスト教会が成立,日本基督教団の成立とともにこれに加わり,青山学院,関西学院などの経営にあたっている。
→関連項目アルミニウスホーリネス派

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「メソディスト」の解説

メソディスト
Methodist

18世紀にイングランド国教会内に生まれた信仰覚醒運動を支えた宗派。ウェスリの指導のもとに福音主義を強調して,国教会の手薄な地域に伝道。ウェスリの死後の1795年国教会から独立し,産業革命による社会変化に対応して勢力を広めたばかりか,アメリカにも広がった。信徒の宗教生活を訓練する方式(メソッド)を重んじたところから,その名が生じた。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のメソディストの言及

【ソラノス】より

…生没年不詳。出身地のエフェソス,後にアレクサンドリアで研鑽し,トラヤヌスとハドリアヌス治下のローマで医療を行ったメソディスト派の中心人物。この医学派は,身体が可動な原子と不動な原子から成るもので微細な気孔が交錯しており,その収縮の度合が健康と病気にかかわると考えた。…

【ウェスリー】より

…キリスト教プロテスタント教会の一派メソディスト運動Methodismの祖。オックスフォード大学に学び,はじめ英国国教会の聖職者であった。…

【キリスト教】より

…しかし教派が自由に発達したアメリカでは,逆に世俗社会の多様な要求に従って立てられる分派なり非歴史的集団としてのデノミネーションも多数生じた。 近代の重要な教派としては,すでにあげた長老派と会衆派のほか,バプティストクエーカー(基督(キリスト)友会),メソディストがあげられる。バプティストとクエーカーはそれぞれに内的神秘的生命を重んじ(再洗礼派とバプティストとの連関は否めない),制度をきらって教会の外に出て,積極的に伝道を行うほか,良心の自由と平和を社会的にも実現しようと努めた。…

【キリスト教音楽】より

…それは,社会の近代化に伴って,以前のように厳しく訓練された聖歌隊やカントライを維持することが一般的には不可能となったことに一因があり,また啓蒙主義をへたのちのキリスト教は,その精神的支配力において徐々に退潮を余儀なくされているからである。 以上,ローマ・カトリックと16世紀に分立したプロテスタント諸派を中心に述べてきたが,18世紀以降に新たに分立した多数のプロテスタント諸派の中では,ウェスリー兄弟Charles Wesley(1757‐1834),Samuel W.(1766‐1837)を擁するメソディスト派がとくに重要である。大衆伝道のために平明に歌える旋律と親しみやすい和声付けを旨としたメソディスト派の賛美歌は,芸術的実質においては必ずしも高いものではない。…

【非国教徒】より

…16~17世紀に誕生した非国教徒には,長老派教会会衆派教会(組合教会ともいう),バプティストクエーカー(基督友会)などがあり,そのうち長老派は非遵奉派,バプティストとクエーカーは分離派のタイプに属し,会衆派は二つのタイプの中間的な存在であった。18世紀以降には,あらたにメソディストユニテリアンが加わった。 非国教徒は17世紀の初め以降,北アメリカ,とくにニューイングランド地方への植民の中核となり,イギリス本国ではピューリタン革命の主要な担い手となった。…

【ホーリネス派】より

…プロテスタントの一教派。アメリカのメソディスト教会内から19世紀におこったホーリネス運動,すなわちメソディスト派の創始者ウェスリーが教えた信仰生活の聖潔と完全を重視し強調する運動に起源を持つ50余の諸教会がある。独立戦争後メソディスト教会は西部開拓地の伝道に力を入れ,教会員数は飛躍的に増加したが,その信仰と道徳生活の質的低下を批判する人々が1825年に《聖潔への手引》という雑誌を刊行し,ホーリネス運動が始まった。…

※「メソディスト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android