ポリネシア(読み)ぽりねしあ(英語表記)Polynesia

翻訳|Polynesia

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポリネシア」の意味・わかりやすい解説

ポリネシア
ぽりねしあ
Polynesia

太平洋に散在する多くの島々のうち、ハワイ諸島、ニュージーランド、イースター島の3点を結ぶ、いわゆる「ポリネシアの三角形」の中の海域にある島々をさす。太平洋の島々、すなわちオセアニアをポリネシア、メラネシアミクロネシアの三つに大きく分けた場合の一つで、地図上ではほぼ180度経線以東の区域である。しかし、メラネシアやミクロネシアとの間に明確な線が引けるわけではない。とくに住民の移動も多いので、体質的にポリネシア系とみられる人々はメラネシア海域のレンネル島ペンテコスト島ティコピア島や、ミクロネシア海域のヌクオロ島、モキール島、カピンガマランギ島にも分布し、そのことがいみじくもポリネシア人の海上移動説を裏づけることにもなっている。「ポリネシア」とはギリシア語で「多くの島々」の意味であるが、名前のとおりおびただしい数の島々がある。独立国は、1962年独立の独立国サモア(旧、西サモア)、1970年のトンガ、1978年のツバルの3国で、ミクロネシアのギルバート諸島を中心国土としつつポリネシアのフェニックス諸島とライン諸島を国土に含む1979年独立のキリバスを加えても、4国にすぎない。また、クック諸島とニウエはニュージーランドとの自由連合国関係にあるが、そのほかの島々は、アメリカの一州であるハワイ諸島をはじめ、アメリカ領サモア(東サモア)、フランス領ポリネシア、イギリス領ピトケアン島、ニュージーランド領トケラウ諸島、アメリカ領ジョンストン島とミッドウェー島、チリ領イースター島というように、大部分の島々がヨーロッパその他の国々に領有されている。この点は太平洋全域に共通しているが、それはヨーロッパ人による探検・航海の歴史がそのまま征服・領有の状況をもたらしたものともいえよう。

 ポリネシアの島々はハワイ諸島、サモア諸島のような火山島に大きい島が多い。ババウ諸島、トンガタプ諸島のような隆起サンゴ礁の島がこれに次ぎ、ツアモツ諸島、フェニックス諸島のような環礁の島々は最小である。火山性の島々には地下資源に富むものが多く、低い環礁性の島に鳥糞(ちょうふん)の堆積(たいせき)によるグアノ(燐(りん)鉱石)を産出したところもある。農産物としては全域にコプラの産出があるほか、サトウキビや果実類も多い。しかしポリネシアの各地で特徴的なものは水産物であり、魚類の冷凍もの、缶詰のほか、真珠貝や亀甲(きっこう)を産するところもある。海洋漁労民といわれるポリネシアの人々の生活のなかにも、貝殻の貨幣や亀甲の釣り針、真珠貝の装身具といった海のものがみられる。1982年採択の国連海洋法条約による各島周辺200海里の排他的経済水域の設定も、ポリネシアの島々にとっては有利な展望をもたらすものである。

[大島襄二]

ポリネシア人

ポリネシアは広大な海域に及んでいるにもかかわらず、人種、文化、言語のいずれをとってみても、きわめて同質性が高い。形質的にポリネシア人は長身(男子で平均169~173センチメートル)でがっしりした体格をしており、皮膚は明褐色、毛髪は直毛ないし波状毛である。目の蒙古(もうこ)ひだ、幼児の尻(しり)の蒙古斑(はん)など、モンゴロイドの諸特徴を備えている。ポリネシア人の移住に関しては古くから多くの議論があり、なかでもノルウェーの人類学者ヘイエルダールの南アメリカ起源説は有名だが、今日の考古学と言語学の成果からはおよそ次のようなことが判明している。ポリネシア人の源郷はアジアで、おそらくは中国南部。東南アジアの島嶼(とうしょ)部、ニューギニア島、メラネシアの島々を経由して移住が行われ、紀元前1300年以前にトンガに、やがてサモアに到達した。その後しばらく、西ポリネシアにとどまった人々は、紀元後マルケサス諸島ないしはソシエテ諸島に渡り、そこからハワイ、イースター島、ニュージーランドなど四方に拡散していった。周囲を海に囲まれて、広い海洋の移住を果たしたポリネシア人は、高度な造船術、航海術をもっていた。近距離はアウトリガー(舷外(げんがい)浮材)付カヌーを用い、また遠距離は双胴船で、日中は微妙な海や空の色、雲の形を見分けながら、また夜は星を頼りに島と島の間を往来した。

 しかし、彼らの食糧生産は焼畑掘棒耕作の域を出なかった。主要作物はタロイモ、ヤムイモサツマイモなどのいも類や、バナナ、パンノキ、ココヤシなどで、日常のタンパク質は主として海産物から得ていたが、家畜としてブタ、トリ、イヌを飼育していた。彼らが最初トンガ、サモア、そしてやがてマルケサス諸島に住むようになったころ、メラネシアやミクロネシアの一部からも広く出土しているラピタ様式の土器製作を行っていたことは考古学の成果により明らかであるが、その後彼らは土器製作の習慣を失ってしまった。今日のポリネシア人の伝統的調理法は、地面に穴を掘り焼石を敷いた上に材料を入れ、上から葉で覆いをして蒸し焼きにする方法である。またポリネシア人は織物の技術を知らなかった。彼らがもっぱら衣類として利用したのは、タパ(樹皮布)である。これはカジノキの皮をたたき延ばしてつくるじょうぶな紙のようなものである。これを染色するためのさまざまなプリント技術も諸島ごとに開発された。またタコノキの葉を細く裂いて敷物や衣類を編む技術も発達した。例外はニュージーランドに移住したマオリ人で、気候条件からカジノキもタコノキも育たないために、彼らは亜麻(あま)の繊維を手で編んで布をつくり、またイヌの毛皮を防寒用に用いた。ほかにポリネシア共通の物質文化としてカバと文身(いれずみ)をあげることができよう。前者はカバとよばれるコショウ科の低木の根を砕き、水に浸してその上澄みを飲用する習慣で、日常ばかりかさまざまな儀礼にも用いられた。ヤシ殻からつくった墨を用いた藍(あい)色のいれずみは、諸島ごとに様式の異なる幾何文様で、マルケサス諸島の男子はこれを全身に施した。

 ポリネシア人の親族組織は、父系的な偏りをもちつつも、おおむね居住方を重視して母方に帰属することも可能な緩い出自システムに基づくもので、親族名称は世代型である。平等思想の強いメラネシアに対して、ポリネシアでは長子継承による首長システムが存在した。このシステムが高度に発達したハワイ、ソシエテ、トンガの各諸島では、首長間においてもラインの新旧により階層分化が進み、ピラミッド型の位階システムを通じて大規模な社会統合が成し遂げられた。これらの諸島では、首長がその配下の人々の生殺与奪の権をも含んだ強い権力をもつと同時に、首長の神聖さを示すさまざまかつ入念な儀礼が発達した。ハワイ、ソシエテ両諸島では、19世紀初頭に宣教師や火器の力を得て統一が達成され、ハワイではカメハメハ王朝、ソシエテではポマレ王朝が誕生した。ポリネシア人の伝統的宗教に関しては不明の点が多いが、少なくとも役割や権能の異なる人格的な神々をもっていたようで、それらの神々の由来や行状を説く神話や説話は数多い。海の神タンガロア、戦いの神トゥ、農業の神ロンゴ、森の神タネは東ポリネシアやハワイ、ニュージーランドには共通の神々であり、また島を海中から釣り上げた文化英雄マウイの説話も各地でいい伝えられている。

 ポリネシアは太平洋中でもっともキリスト教化が成功したと同時に、19世紀の西欧による植民地化の影響をたいそう強く受けている。たとえば白人入植者に土地をほとんど奪われたハワイやニュージーランドでは、今日ポリネシア人は全人口の一部を占めるにすぎず、彼らの生活やものの考え方にも西欧文化の影響が著しい。彼らは同化がスムーズであっただけ、ポリネシア人としてのアイデンティティを失いかけているともいえよう。しかし最近では、その危険に気づいた人々の間で祖先の文化を復活、保存しようという動きがみえると同時に、文学、芸術の分野では伝統を取り入れた新しい文化創造の可能性も現れてきている。それと同時に、先住民の権利回復を目ざすもろもろの運動が進行しつつある。

[山本真鳥]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポリネシア」の意味・わかりやすい解説

ポリネシア
Polynesia

南太平洋東部,ハワイ諸島(アメリカ合衆国)を頂点に,西と東を結ぶ底辺の 2点をニュージーランド(アオテアロア Aotearoa)とイースター島(ラパ・ヌイ Rapa Nui。チリ)に置く,広大な三角形の地域。ポリネシアの語はギリシア語のポリ poly(「多い」の意)とネソイ nēsoi(「島々」の意)に由来し,北西から南東にかけてツバルトケラウ諸島(ニュージーランド),ワリーエフュチュナ(フランス),サモアアメリカ合衆国領サモアトンガニウエクック諸島フランス領ポリネシアピトケアン島(イギリス)を含む。
約 2000~3000年前にポリネシア人の祖先がこの地域に入り,最初は西部のワリーエフュチュナやサモア,トンガに定住したとみられる。大陸や島々への移動が困難な環境にあったため,自給自足を基本とする生活文化がはぐくまれたが,18世紀以降の西欧の植民地主義が大きな変化を及ぼした。18世紀後半までにヨーロッパの探検家たちがポリネシアの大部分を航海し,18世紀末から 19世紀初頭にかけて宣教師たちが訪れてキリスト教を布教した。イギリスは先住民のマオリ族ワイタンギ条約を結びニュージーランドを併合,フランス,ドイツ,アメリカ合衆国,チリ,そしてニュージーランドなどもポリネシア地域の領有権を主張するにいたった。第2次世界大戦後,脱植民地の機運が高まり,1962年にサモアがニュージーランドから主権を獲得し,最初のポストコロニアルの太平洋国家として独立した。フランス領ポリネシアでは 1966年以降 30年間にわたり,ツアモツ諸島のムルロア環礁とファンガタウファ環礁で核実験が行なわれ,放射性降下物の被害などをうけて反核運動が展開された。一方で,多数の軍人の投入により無数の雇用が生み出され,経済構造の変化や都市化といった影響がもたらされた。

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