日本大百科全書(ニッポニカ) 「サンジカリズム」の意味・わかりやすい解説
サンジカリズム
さんじかりずむ
syndicalisme フランス語
フランスでは一般的な労働組合運動ないし労働組合主義をさすが、これに英語のトレード・ユニオニズムtrade unionismの語を用いる他の国では、主として無政府主義と結び付いた革命的労働組合運動ないしその思想をいう。サンジカsyndicat(組合)を労働者の唯一の階級的組織とみなして、政党や選挙、議会などの政治運動を排斥し、ストライキ、サボタージュ、ボイコット、とりわけゼネラル・ストライキやその発展としての武装蜂起(ほうき)などの直接行動によって政府を打倒し、生産と分配との管理権を組合の手に握り、搾取のない自由な新しい社会体制を実現するという思想ならびに運動である。
最初に台頭したのは19世紀末のフランスで、1890年前後のテロリズムの主張が民衆から孤立し、行き詰まった無政府主義者が、労働組合による宣伝とゼネストとを唱えて、95年に結成されたフランス労働総同盟(CGT)のなかで社会主義者と抗争し、その指導権を確立した。この運動の頂点に達した1906年のCGT大会で採択された決議文、いわゆる「アミアン憲章」には――CGTはあらゆる党派の外にたち、賃金雇用制度を打倒するためにあらゆる労働者を結集することを確認し、労働時間短縮や賃金引上げなどの直接的改良の実現に努力するが、これは仕事の一部分にすぎず、資本の没収によってのみ可能な完全な解放を期する。そのような目的を実現する方法としてゼネストを主張する。今日、抵抗の組織として存在する労働組合は、将来は生産と分配との組織になり、社会変革の基礎となるべきである――という意味が述べられている。このような革命的労働組合主義がフランスに台頭したのは、当時フランスでは工業の発達が立ち後れて広く小規模手工業が残り、プロレタリアが未成熟で職人が労働者の中心をなしていたにもかかわらず、革命運動の経験が積まれていたこと、社会主義政党が階級協調主義、議会主義の傾向を強め、労働者の信頼を失っていたことなどが背景になっている。フランスのサンジカリズムに大きな影響を与えた社会主義者、思想家としては、プルードン、ソレルなどがあげられる。
サンジカリズムは、同じような政治的、経済的、社会的傾向にあったイタリアでは、1906年に創立された労働総同盟(CGL)の少数派として現れ、スペインでは1910年に創立された全国労働連合(CNT)を主導した。また、1905年アメリカで創立された世界産業別労働者組合(IWW)とラテンアメリカ諸国に組織されたその支部、1905年ごろからイギリスに台頭したギルド社会主義なども、フランスのサンジカリズムの影響を受けている。しかし、第一次世界大戦を通じての各国の工業の発達、ロシア革命後のマルクス主義思想の発展などから、サンジカリズムの影響力は急速に衰え、スペインなど一部の国を除いてほとんどその姿を消した。
日本では、1906年(明治39)アメリカから帰国した幸徳秋水(こうとくしゅうすい)がアナルコ・サンジカリズム思想を表明し、第一次大戦後、大杉栄(さかえ)がサンジカリストの理論的代表者として20年代初頭の労働組合運動を二分する勢力を占めたが、22年(大正11)ごろから急速に退潮していった。
[松尾 洋]
『喜安朗著『革命的サンディカリズム』(1972・河出書房新社)』▽『アンリ・デュビエフ編著、上村祥二・田中正人・谷川稔・藤本佳子訳『サンディカリズムの思想像』(1978・鹿砦社)』