日本大百科全書(ニッポニカ) 「サージェント」の意味・わかりやすい解説
サージェント(Thomas John Sargent)
さーじぇんと
Thomas John Sargent
(1943― )
アメリカのマクロ経済学者。カリフォルニア州パサディナ生まれ。1964年にカリフォルニア大学バークリー校を卒業し、1968年にハーバード大学で経済学博士号を取得した。ミネソタ大学、シカゴ大学、スタンフォード大学教授などを歴任し、2002年からニューヨーク大学教授を務める。
ミネソタ大学教授であった1970年代後半から1980年代初頭にかけて、企業や家計が将来に対して抱く「期待」(「予想」expectations)が経済に大きな影響を及ぼすとの合理的期待形成仮説(rational expectations hypothesis)をルーカスらと展開した。たとえば、中央銀行が景気を好転させようと通貨供給量を増やして金利を下げても、企業や家計などの経済主体は事前に景気好転を織り込んで商品値上げや賃金引上げなどの予測行動をとるため、物価が上がってしまい、金融政策の効果が相殺されることを、マクロ計量経済理論を駆使して実証した。著書『Macroeconomic Theory』(1979年、邦訳『マクロ経済理論』)は経済学を学ぶ大学院生の標準的な教科書となった。2011年に「マクロ経済政策と成長率、インフレ、雇用、投資などの因果関係を実証的に分析する研究」が評価され、ノーベル経済学賞を受けた。プリンストン大学のシムズとの共同受賞であった。
[矢野 武]
サージェント(John Singer Sargent)
さーじぇんと
John Singer Sargent
(1856―1925)
アメリカの画家。イタリアのフィレンツェに生まれ、主としてパリとロンドンで国際的に活動した。1874年、パリでカロリュス・デュランCarolus Duran(1837―1917)に師事。そのころからホイッスラー、ドガなどの感化を受け、1880年代初めから生来の巧妙な筆さばきが現れる。1884年、サロンの出品作が原因でロンドンに移住して以来、甘美な作調によって上流階級の肖像画を数多く制作している。1897年にはナショナル・アカデミー・オブ・デザインやロイヤル・アカデミーの会員に推されたが、1887年以降しばしばアメリカに渡り、ボストン図書館とボストン美術館の天井壁画を完成、また肖像画のほかに風景画を好んで描くようになった。
[桑原住雄]
サージェント(Dudley Allen Sargent)
さーじぇんと
Dudley Allen Sargent
(1849―1924)
アメリカの大学体育の開拓者。1878年エール大学医学部を卒業。1879年ハーバード大学体育学助教授となり、20年間にわたって同大学の指導的地位を占めた。身体各部の機能・筋力測定用機械や器具を各種考案し、人体測定学を発展させた。また、彼が考案した跳躍力測定の「サージェント・ジャンプ」は、垂直跳びまたは上方跳躍ともよばれ、一般的な運動素質を示す基準と考えられている。それは、膝(ひざ)を約90度に曲げ、腕を大きく前後に振って垂直に跳び上がり、直立静止時の頭の高さから、跳躍して到達した頭の高さまでの距離で表される。
[上迫忠夫 2018年8月21日]
サージェント(Sir Malcolm Sargent)
さーじぇんと
Sir Malcolm Sargent
(1895―1967)
イギリスの指揮者。アッシュフォード生まれ。オルガン奏者として活動ののち指揮に転じ、合唱指揮の第一人者として名をあげた。ハレ管弦楽団、リバプール・フィルハーモニー、BBC交響楽団の各常任指揮者を歴任したが、個性的な演奏は生み出せず、その本領はロンドン名物となったプロムナード・コンサートで発揮され、イギリスの大衆にオーケストラ音楽の楽しみを教える原動力となった。1947年サーに叙せられる。54年(昭和29)来日し、東京交響楽団を指揮した。ロンドンで没。
[岩井宏之]