スイス北東部、ザンクト・ガレン州の州都。標高670メートルの地にある。人口6万9909(2001)。フランス語名サン・ガルSaint Gall。8世紀にベネディクト会のザンクト・ガレン修道院ができ、8~11世紀にはヨーロッパの重要な文化中心の一つであった。1180年に都市権を得、活動的な領主司教の影響下にあって政治的よりも経済的に重要な町として発展を続けた。古い建築にみるべきものがあり、18世紀なかばに再建された大聖堂はスイスでもっとも美しい後期バロック様式の建築として有名で、その二つの塔は町のシンボルとなっている。
ザンクト・ガレン州は面積2026平方キロメートル、人口45万2600(2001)。州内にはグラールス・アルプス、アッペンツェル・アルプスがあり、これらの高地ではライン川、ゼーツ川、リント川の河谷平野とともに牧畜を中心とした農業が盛んである。河谷はフェーン風の通り道で、野菜、トウモロコシ、タバコ、ブドウなどが栽培される。この州はチューリヒと並んで早くから東スイスの工業化の中心であり、13世紀にザンクト・ガレン市に始まり周辺に広がった亜麻(あま)織物業の伝統が、19世紀に紡績、刺しゅう工業をおこし、同じころ鋳物・機械工業をも立地させた。
[前島郁雄]
スイス連邦を構成するカントン(州)およびその州都名。州人口46万1810(2006)。州都人口7万0375(2006)。アイルランドの修道士ガルスの創建した修道院の門前市から発達した。1180年修道院長の諸権限を残したまま帝国都市となる。14世紀初頭スイスやシュワーベン地方の諸都市と同盟し,大幅な自治権を獲得。スイスの他都市と異なって農村領域を支配することができなかったため,亜麻布織工業とその製品販売に力を注ぎ,東スイスの経済的中心地となる。中世以来の織物業の伝統を背景に,いち早く木綿工業の産業革命化に成功し,ナポレオンの大陸封鎖のもとで繁栄を誇った。19世紀中葉以降ヨーロッパの販路が行き詰まり,海外(南・北アメリカ,インド)に進出。1859年(安政6)通商交渉のために日本に最初に派遣されたスイス使節は,ザンクト・ガレンの商業局の資金援助を受けており,日本における綿製品の販路拡大の可能性をさぐるものであった。
執筆者:森田 安一
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