日本大百科全書(ニッポニカ) 「マリク」の意味・わかりやすい解説
マリク(Adam Malik)
まりく
Adam Malik
(1917―1984)
インドネシアの政治家。北スマトラ生まれ。小学校、宗教学校以外は独学。1934年インドネシア党入党で独立運動に投じ、1937年にはアンタラ通信創設にも参加。1945年8月武装蜂起(ほうき)による独立を唱えてスカルノと対立。1948年民族共産主義ムルバ党に入党。1959~1962年駐ソ大使。1963年貿易相に入閣したがスカルノとは不和であった。九・三〇事件の2年後の1967年からスハルト新体制下で11年にわたり外相。1977年国民協議会議長を経て1978年副大統領。この間1967年にはASEAN(アセアン)(東南アジア諸国連合)設立に努めるなど、現実主義的外交を展開した。著書に『共和国に仕える』などがある。
[黒柳米司]
『尾村敬二訳『共和国に仕える――インドネシア副大統領アダム・マリク回想録』(1981・秀英書房)』
マリク(Yakov Aleksandrovich Malik)
まりく
Яков Александрович Малик/Yakov Aleksandrovich Malik
(1906―1980)
ソ連の外交官。ウクライナ出身。1937年に外交官養成所を卒業して外務人民委員部に入り、1939年(昭和14)駐日大使館参事官、1942年駐日大使に就任した。1945年日ソ開戦に伴い帰国。戦後、対日理事会の政治顧問、外務次官、国連代表を歴任し、1953年から1960年まで駐英大使、その間1955~1956年に日ソ国交正常化ロンドン交渉のソ連側全権を務めた。その後ふたたび国連代表を務めたが、1976年自動車事故で重傷を負い、引退した。
[原 暉之]