マリク(その他表記)malik[アラビア]

改訂新版 世界大百科事典 「マリク」の意味・わかりやすい解説

マリク
malik[アラビア]

〈支配者〉〈王〉を意味する語。コーランでは神あるいは異民族の王の呼称として用いられ,カリフも自らマリクを称することはなかった。しかしアッバース朝以後のウラマーによれば,ウマイヤ朝時代からのカリフは,たとい称号はカリフであっても,その実態は世俗的な君主(マリク)にすぎず,わずかにアッバース朝時代の何人かのカリフがイマームに必要とされる水準に達したとされた。現実には,10世紀以降サーマーン朝やブワイフ朝の君主はアッバース朝カリフの宗主権を認めて,自らはペルシア語のシャーと同じ意味でマリクを称した。トルコ系のザンギー朝やアルトゥク朝の君主もマリクの称号をよく用いたが,アイユーブ朝マムルーク朝では〈勝利の王al-malik al-nāṣir〉のように,スルタンに対する形容名辞としての用法が一般化した。近代以降は,エジプトやイラクヒジャーズなど独立国家の君主の称号として使用された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「マリク」の意味・わかりやすい解説

マリク(Adam Malik)
まりく
Adam Malik
(1917―1984)

インドネシアの政治家。北スマトラ生まれ。小学校、宗教学校以外は独学。1934年インドネシア党入党で独立運動に投じ、1937年にはアンタラ通信創設にも参加。1945年8月武装蜂起(ほうき)による独立を唱えてスカルノ対立。1948年民族共産主義ムルバ党に入党。1959~1962年駐ソ大使。1963年貿易相に入閣したがスカルノとは不和であった。九・三〇事件の2年後の1967年からスハルト新体制下で11年にわたり外相。1977年国民協議会議長を経て1978年副大統領。この間1967年にはASEAN(アセアン)(東南アジア諸国連合)設立に努めるなど、現実主義的外交を展開した。著書に『共和国に仕える』などがある。

[黒柳米司]

『尾村敬二訳『共和国に仕える――インドネシア副大統領アダム・マリク回想録』(1981・秀英書房)』


マリク(Yakov Aleksandrovich Malik)
まりく
Яков Александрович Малик/Yakov Aleksandrovich Malik
(1906―1980)

ソ連外交官。ウクライナ出身。1937年に外交官養成所を卒業して外務人民委員部に入り、1939年(昭和14)駐日大使館参事官、1942年駐日大使に就任した。1945年日ソ開戦に伴い帰国。戦後対日理事会の政治顧問、外務次官、国連代表を歴任し、1953年から1960年まで駐英大使、その間1955~1956年に日ソ国交正常化ロンドン交渉のソ連側全権を務めた。その後ふたたび国連代表を務めたが、1976年自動車事故で重傷を負い、引退した。

[原 暉之]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マリク」の意味・わかりやすい解説

マリク
Malik, Adam

[生]1917.7.22. 北スマトラ,プマタンシアンタル
[没]1984.9.5. 西部ジャワ島,バンドン
インドネシアの政治家。イスラム教学校卒業。 1930年代,オランダ領東インドの独立を要求する民族主義者グループの一員としてオランダ官憲に投獄された。 37年アンタラ通信社 (1962,国営通信社となる) を創設して社長に就任。 46年ムルバ (プロレタリア) 党創立,56年下院議員。 59~62年ソ連駐在大使。 62年西イリアン問題で対オランダ交渉の首席代表。 63~65年貿易相。スカルノ体制を倒した 65年の九・三〇事件後,スハルト大統領の新体制下で 66年3月外相就任。東南アジア諸国連合 ASEANの創立者の一人であり,またインドネシアの現実的非同盟政策の推進者として,スハルト大統領の信任を得た。 71~72年第 26回国連総会議長をつとめ,中国の国連加盟を推進した。 78~83年副大統領をつとめた。

マリク
malik

「王」を意味するアラビア語。世俗的な権力の保有者をいい,神権的な概念はない。王権をムルク mulk,王国をマムラカ mamlakaという。

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百科事典マイペディア 「マリク」の意味・わかりやすい解説

マリク

ソ連の外交官。ウクライナ生れ。日本通として知られ,駐日大使館参事官,大使を経て,第2次大戦後は国連代表として朝鮮戦争の停戦を提案。駐英大使,外務次官を経て1968年以後再度国連代表。1955年日ソ交渉全権ともなった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「マリク」の解説

マリク
Iakov Aleksandrovich Malik

1906~80

ソ連の外交官。1939年より駐日ソ連大使館参事官。42~45年同大使。48年国連安全保障理事会ソ連代表となり,51年には朝鮮停戦を提案。55年駐英大使として日ソ交渉の全権代表を務めた。

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