シュパイヤー大聖堂(読み)シュパイヤーダイセイドウ

デジタル大辞泉 「シュパイヤー大聖堂」の意味・読み・例文・類語

シュパイヤー‐だいせいどう〔‐ダイセイダウ〕【シュパイヤー大聖堂】

Speyer Dom》⇒シュパイエル大聖堂

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世界遺産詳解 「シュパイヤー大聖堂」の解説

シュパイヤーだいせいどう【シュパイヤー大聖堂】

1981年に登録された世界遺産(文化遺産)。正式名称は「聖マリア・聖ステパノ大聖堂」。シュパイヤーはドイツ南西部ライン川沿いの町で、10~11世紀に交易都市として発展した。建造されたのは11世紀、神聖ローマ帝国皇帝コンラート2世の命令による。奥行きが133mあり、ロマネスク様式の宗教建築としては世界最大規模。4本の塔がそびえ立つ姿が美しい。地下祭室にはコンラート2世をはじめ多くの皇帝、王、その妻たち、司教が眠っている。1689年、ルイ14世の軍隊によって焼かれ、その後修復されたが、1794年に再びフランス軍によって壊された。そのため再度修復が行われた。この2度にわたる修復で変更された部分があり、1961年に12世紀初頭の姿に戻す取り組みを行っている。このように度々修復を行っているが、建造物は元の姿を残しており、純粋なロマネスク様式を伝えていることなどが評価され、世界遺産に登録された。◇英名はSpeyer Cathedral

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百科事典マイペディア 「シュパイヤー大聖堂」の意味・わかりやすい解説

シュパイヤー大聖堂【シュパイヤーだいせいどう】

ドイツ南西部,ライン川中流の古都シュパイヤーSpeyerにある大聖堂。1030年神聖ローマ皇帝コンラート2世によって起工され,1061年ハインリヒ4世によって献堂された。ドイツにおける初期ロマネスク様式の代表作。1981年世界文化遺産に登録。
→関連項目コンラート[2世]ロマネスク美術

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世界大百科事典(旧版)内のシュパイヤー大聖堂の言及

【シュパイヤー】より

…17世紀後半にはファルツ継承戦争のなかでフランス軍に蹂躙されたが,1816年バイエルンに帰属,1945年までラインラント・ファルツ地区政府の所在地となった。 聖母マリアと聖シュテファンにささげられたロマネスクの大聖堂(シュパイヤー大聖堂Speyerer Dom)は,ライン河畔における皇帝の三大聖堂の一つとして有名。1030年神聖ローマ皇帝コンラート2世のときに建築開始,61年献堂,82年ハインリヒ4世が増改築を再開して1106年に完成した。…

【ドイツ美術】より

…フィールングの上に塔を立て,その両脇にも小塔を配した二極構成は,中期ロマネスクのマリア・ラーハ修道院教会(1156)やマインツ,ウォルムス,シュパイヤーの諸大聖堂へ受け継がれて,ドイツ帝権の象徴ともいうべき壮大な雄姿を創造するにいたる。これに加えて,なかでもシュパイヤー大聖堂が建築史上にはじめて交差ボールトをもって身廊を完成した(1082‐1112)ことは特筆すべきことであった。しかしその一方に,平天井を好んだ〈ヒルザウ派〉の建築のあったことも無視できない。…

※「シュパイヤー大聖堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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