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ジェリコー Géricault, (Jean-Louis-André) Théodore

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ジェリコー
Géricault, (Jean-Louis-André) Théodore

[生]1791.9.26. ルーアン
[没]1824.1.26. パリ
フランスの画家。ロマン派絵画の創始者。 C.ベルネ,P.ゲランに古典主義的構図,人体表現を学んだが,A.グロルーベンスの感化のもとに『戦う猟騎兵士官』 (1812,ルーブル美術館) ,『傷つける胸甲騎兵』 (14,同) をサロンに出品。しかしその激しい動静,重く沈んだ色彩は不評であった。 1816~17年フィレンツェに旅行し,ミケランジェロの作品を見て多大な影響を受け,帰国後,代表作『メデューズ号の筏』 (19,同) を発表。その劇的な情景の表現,自然主義的な細部描写はロマン派絵画の烽火となった。自然主義的写実は 20年にイギリスに渡って描いた『エプソムの競馬』 (21,同) など,馬を描いた作品に著しい。 (→ロマン主義美術 )  

ジェリコー
Jellicoe, (Patricia) Ann

[生]1927.7.15. ヨークシャー,ミドルズバラ
イギリスの劇作家,演出家。 1952年ロンドンにコックピット・シアターを創設,自作『狂った母さんの戯れ』 The Sport of My Mad Mother (1956) を演出し,『オブザーバー』紙の演劇賞を得た。ほかに"The Knack" (61) ,"Shelley" (65) などの戯曲がある。

ジェリコー
Jellicoe, John Rushworth, 1st Earl Jellicoe

[生]1859.12.5. サウサンプトン
[没]1935.11.20.
イギリスの海軍軍人。 1883年海軍大学校で砲術を専攻,優秀な砲科将校として知られた。 1900年の義和団事変では艦隊参謀長として戦い,重傷を負った。 10年大西洋艦隊司令官。 11年本国艦隊第2戦隊司令官。 14年に第1次世界大戦が始ると,本国艦隊の副司令長官に任じられたが,すぐに司令長官となった。翌年大将に昇進。 16年にはユトラント沖の海戦の指揮をとった。同年末,海軍本部委員長 (軍令部長) となったが,対潜水艦作戦が失敗した責任を問われて,17年に辞任。 18年に子爵,19年に元帥となり,20年にニュージーランド総督となった。 25年に伯爵。

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デジタル大辞泉の解説

ジェリコー(Jean Théodore Géricault)

[1791~1824]フランスの画家。冷徹な観察に基づく劇的表現により、フランスロマン主義端緒を開いた。作「メデューズ号の筏(いかだ)」「エプソムの競馬」など。

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百科事典マイペディアの解説

ジェリコー

フランスのロマン主義の画家,版画家。ルアーン生れ。グロプリュードンルーベンスの影響を受け,動的な構図と激しい色彩の作品を手がける。また冷静・緻密(ちみつ)な観察眼により写実主義の先駆ともなった。
→関連項目ゲラン

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世界大百科事典 第2版の解説

ジェリコー【Théodore Géricault】

1791‐1824
フランスのロマン主義の画家。豊かな商人の息子としてルーアンに生まれ,少年時代にパリに移って,ベルネCarle Vernet,次いでゲランGuérinのアトリエで学ぶ。少年時代よりベルサイユ宮殿の厩舎などに通って馬と親しみ,1812年のサロン(官展)で金賞を得た《武装した猟騎兵将校》においては人馬一体となったみごとな躍動感で人々を魅了する。16年から17年の秋にかけてイタリアに旅行し,ミケランジェロから深い感銘を受ける。

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大辞林 第三版の解説

ジェリコー【Jean Théodore Géricault】

1791~1824) フランスの画家。劇的表現に富む大胆な作風で、ロマン主義運動に先鞭をつけた。代表作「メデューズ号の筏いかだ

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ジェリコー
じぇりこー
Jean Louis Thodore Gricault
(1791―1824)

フランスの画家。夭折(ようせつ)ではあったが傑出した才能を示し、とくにロマン派絵画の烽火(ほうか)となった『メデューズ号の筏(いかだ)』で名高い。ルーアンに生まれる。カルル・ベルネ、ついでゲランの画室(ここにドラクロワも学んだ)に学ぶ。ダビッド風の古典主義の規範の一方で、少年期より馬に傾けた彼の熱情は、動きへの正確な観察へと彼を駆り立て、また当時ローマのボルゲーゼ宮からもたらされた所蔵品などによって、ティツィアーノやルーベンスの描法にも多くを学んでいる。その成果は、1812年のサロンへのデビュー作『軽騎兵士官』(ルーブル美術館)となって現れ、金賞を得る。16~17年、ローマ、フィレンツェに遊学。ミケランジェロやバロック様式を学び、また他方でラファエッロをも学ぶ。帰国後は、文学的主題ではなく同時代の主題にバロック的、ロマン派的な情熱と大きさを与えることを求め、その成果が19年のサロンへの『メデューズ号の筏』出品となる。彼は同時代の現実の悲劇、対角線構図、明暗の対照、病院で数多く試みた死体の素描に裏づけられた現実性などにより、一つのエポックをつくった。20~21年ロンドンに滞在。落馬事故でパリに没した。[中山公男]

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