イギリスの医師。牧師の三男としてバークリーに生まれる。14歳のときよりブリストルに近いソドバリーの開業医の下で7年間修業する。その間に、ある女性の患者から、「かつて牛痘(ウシに痘疹(とうしん)のできる病気。人にも感染し痘疹ができるが軽症)にかかった人は、痘瘡(とうそう)(天然痘)にかからない」という話を聞く。21歳のときロンドンに出て、当時の有名な外科医で解剖学者・博物学者のJ・ハンターに師事。24歳のときバークリーに帰って医院を開業した。
当時は、痘瘡の流行が著しく、多数の人々が痘瘡で死亡した。その対策として、痘瘡患者の痘疹の材料を人の皮膚に植え付けて感染させるという危険な方法が行われていた。ジェンナーはソドバリーで聞いた患者の話をヒントにして調査を始め、まず牛痘にかかったことのある人が痘瘡にかからないことを確かめた。1796年5月14日、牛痘にかかっていたある娘の痘疹の材料をフィップスJames Phipps(1788―1853)という、およそ8歳の少年の腕に接種した。やがて自然感染の場合と同様の痘疹ができて治癒した。その後、この少年に痘瘡の材料を植えたが、つかなかった。すなわち、牛痘の病原体が人から人に伝達できること、また、牛痘にかかって治った人は痘瘡にかからないこと、が実験的に証明された。その後も同様の実験を重ねて、1798年に論文として発表した。この方法は、牛痘種痘法とよばれ、痘瘡の予防に安全で効果のある方法であることが認められ、広く世界で行われるようになった。
その後もバークリーで種痘の普及に尽くし、1823年1月26日に73歳で死去した。カッコウの生態、鳥の渡りの習性など博物学についても優れた発見をしている。
1980年、世界保健機関(WHO)は、世界から痘瘡を根絶させたと宣言した。これは種痘を組織的に普及させたことによる。日本を含め世界的に種痘に用いられてきたウイルスは、ワクチニアウイルスVaccinia virusとよばれるもので、牛痘ウイルスではない。ジェンナーの時代に種痘に用いられたウイルスが、そのいずれであったのかは不明である。ジェンナーの発明は、その後のすべてのワクチン開発の基礎となったものであり、免疫学の原点ともいわれている。
[加藤四郎]
牛痘種痘法を創始したイギリスの医師。グロスターシャーのバークリーで牧師スティーブンStephen J.の第6子として生まれた。5歳のとき両親を失ったため長兄の保護を受け,初等中学を終えた後,1761年からブリストルに近いソドベリーの外科医ラドローDaniel Ludlowについて10年間医学を学んだ。70年ロンドンに出てJ.ハンターの内塾生になり,解剖学と外科学を専攻した。またハンターの推薦でJ.バンクスの助手になり,バンクスがJ.クック船長の第1回探検航海に同行して世界各地で集めた博物標本の整理に従事した。73年故郷バークリーに帰って外科医として開業。地方医学会を組織し,博物学研究を楽しみ,フルートを演奏し詩を作るなど,社交界の人気者でもあった。88年キャサリンCatherine Kingscoteと結婚。92年にセント・アンドルーズ大学から医学博士の学位を得た。
古くからグロスターシャーには,牛痘(天然痘に似たウシの軽い病気)に感染したことのある乳搾りの婦人は,人間の天然痘(痘瘡)にはかからないという俗信があった。天然痘の予防に早くから注目していたジェンナーは,牛痘と人痘との関係について観察を続けたが,96年ついに実験に踏み切り,5月14日,乳搾りの婦人ネームズSarah Nelmesの腕にできた牛痘の水疱から内容液を採取し,8歳少年のフィップスJames Phippsの腕に接種した。もちろん少年は牛痘に感染した。ついで7月1日,少年に人痘を接種したが,発病しなかった。98年再び同じ実験に成功し,人工的な牛痘によって人痘に対する免疫ができることを実証した。それまでは人痘をうえつけて天然痘を予防しようとする危険な人痘種痘法が試みられていたのだから,これは,それに比べてはるかに安全な牛痘種痘法の登場であった。この成果は98年《牛痘の原因と効能に関する研究》と題して公表された。1803年種痘を正しく普及させるためにジェンナー協会がロンドンに設立され,イギリス議会からも1802年に1万ポンド,07年に2万ポンドの奨励金が授与され,人類に長く猛威をふるっていた天然痘による死亡を激減させることに貢献した。23年1月26日バークリーで死去。
→種痘
執筆者:本田 一二
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1749~1823
イギリスの医師。牛痘に感染した乳しぼり女たちが天然痘の免疫性を得る事実に着眼,1796年種痘法を完成。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…フランスのL.パスツールは,細菌学の知識を利用して醸造業の能率向上,畜産獣医学方面での防疫法をつぎつぎと開発,人間においても狂犬病ワクチンの開発に成功した(1885)。このような治療血清やワクチンは,細菌学の技法を用いているとはいえ,基本的にはE.ジェンナーの牛痘接種による痘瘡(とうそう)予防と同じく,生体自身がもっている免疫能力を利用したものである。ところが同じくコッホの門人であったP.エールリヒは,細菌には染料によって着色されやすいものとそうでないもののあることから,細菌のみに作用して動物や人体には影響のない物質を発見できる理論的可能性に着目し,秦佐八郎とともに梅毒の病原体にのみ特異的に結合し,その発育を阻止する物質サルバルサンを開発,化学療法の基礎をきずいた(1909)。…
…法定伝染病の一つで,痘瘡(とうそう)または疱瘡(ほうそう)ともいう。古くから人類に甚大な被害を及ぼしたが,E.ジェンナーによる種痘法の発見を契機として予防法が確立され,まず先進国から天然痘が駆逐された。1960年代にはアフリカ,インド周辺,東南アジア,南アメリカでは毎年のように流行を繰り返していたが,WHOの根絶計画に協力した各国の努力の結果,80年5月にはWHOが地球上からの天然痘根絶宣言を発するに至った。…
… しかし免疫が,ほんとうの意味での医学・医療上の問題として現れるのは1700年代に入ってからで,種痘の登場による。初めは人痘(ヒト天然痘患者の痂皮や膿汁など)が用いられたが,次いで有名なE.ジェンナーによる牛痘(ウシ天然痘のそれら)の人工的接種がなされ,これらによって天然痘に対する免疫能力をつくり出すことができることが発見された。ジェンナーは,当時中国からイギリスに伝わった少量の人痘材料を吸入させるという恐ろしい方法から,1798年に牛痘の膿汁を接種するという画期的な方法を開発し,危険度を低下させ,天然痘に対する免疫抵抗性を与えることに成功した。…
※「ジェンナー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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