ジム・クロウ制度(読み)じむくろうせいど(英語表記)Jim Crowism

翻訳|Jim Crowism

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ジム・クロウ制度
じむくろうせいど
Jim Crowism

アメリカ合衆国南部における人種の物理的隔離に基づく黒人差別の法体系。しかし、広義には、アメリカの黒人差別体制一般をいう。ジム・クロウとは、1828年ケンタッキー州で上演され、ヒットしてヨーロッパでも流行したミュージカルの登場人物(黒人)の名前で、その後黒人の蔑称(べっしょう)となり、人種隔離のことをよぶようになった。
 ジム・クロウ制度が、黒人差別の法体系として全面的に発展し、長期にわたって維持されたのは南部においてである。その起源は、南北戦争(1861~65)前の南部諸都市にみられ、自由黒人と非奴隷所有白人との接触に脅威を感じた奴隷主勢力は、食堂、酒場、売春宿、ホテル、学校、病院などの人種隔離を法制化した。すでに早くからニュー・オーリンズ、チャールストン、リッチモンドなどで人種隔離が確立していた。南北戦争で奴隷が解放されると、白人優越体制を維持するために、黒人を事実上の奴隷状態にとどめておく、黒人条項Black Codesと総称される諸法が制定され、人種隔離が規定された。しかし、「急進的再建」の時代に入ると、黒人運動の圧力も手伝って、次々と人種隔離禁止法が成立、1875年にはサムナー上院議員の努力で、ホテル、劇場、乗り物その他の公共の場における人種差別を禁止する連邦法、公民権法が成立した。
 とはいえ、実際には全体として人種隔離は残され、とくに公立学校の人種隔離などは、ほとんどまったく手をつけられなかった。「急進的再建」が挫折(ざせつ)し、元奴隷主勢力が南部政界に復帰すると、1881年テネシー州議会が鉄道での人種隔離を法律化したのを皮切りに、とくに連邦最高裁の公民権法無効判決(1883)以後一斉に南部各州が人種隔離の法律化を開始した。96年、連邦最高裁がプレッシー対ファーガソン裁判で「隔離すれども平等」separate but equalと述べ、積極的に人種隔離を容認するに至り、人種隔離は全国的な原則と認められた。隔離は、実際には平等をまったく意味せず、それぞれの人種のためにつくられた諸施設の質には格段の差があり、それは人種差別そのものを意味していた。この原則の採用は、アメリカがアメリカ・スペイン戦争(1898)に勝利し、帝国主義的色彩を強めて他民族に対する優越の主張を体系化し始めた時期と一致していた。南部の知識人は、白人の黒人に対する優越を主張し、北部の知識人はアングロ・サクソンの優秀性を「科学的」に論証した。ほとんどすべての教会も厳格な人種隔離の原則を採用した。
 第二次世界大戦後の公民権運動の第一の攻撃目標は、このジム・クロウ制度であり、1954年連邦最高裁が「隔離すれども平等」の原則を破棄すると、南部各地で次々と人種隔離制度打破の運動が成功した。そして、64年公民権法によって法的には人種隔離は禁止された。しかし、黒人ゲットーに象徴される事実上の人種隔離は根強く存在している。[上杉 忍]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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