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ジャクソン・ファイブ じゃくそんふぁいぶJackson 5

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ジャクソン・ファイブ
じゃくそんふぁいぶ
Jackson 5

アメリカの黒人5人兄弟のアイドル・バンド。マイケル・ジャクソンMichael Jackson(1958―2009)をリード・ボーカリストとし、1970年代前半に大活躍した。
 ジャクソン・ファイブは、ジャッキー・ジャクソンJackie Jackson(1951― )、ティト・ジャクソンTito Jackson(1953― )、ジャーメイン・ジャクソンJermaine Jackson(1954― )、マーロン・ジャクソンMarlon Jackson(1957― )、そして最年少のマイケルによって構成され、結成は出身地インディアナ州ゲーリーである。バンド結成の発端は家にあった楽器で子供たちが遊んでいたところを父親が目撃したことだった。かつてギタリストだった父親は、子供たちの才能を見抜きファミリー・グループを結成、これがジャクソン・ファイブにつながっていった。
 子供たちのなかで、際立った才能を発揮したのがマイケルだった。ジェームズ・ブラウンに影響されたその歌と踊りは、すでに10歳前後で相当なレベルに達していたといわれ、それを証明するかのように、マイケルを中心に据えたジャクソン・ファイブは地元の歌合戦(タレント・スカウト・ショー)だけでなく、1967年、プロを目指す黒人シンガーにとって登竜門だったアポロ・シアターのコンテストでも優勝を果たした。
 1969年、11歳のマイケルを擁するジャクソン・ファイブは、当時破竹の勢いだったモータウン・レコードからデビュー・アルバムを発売する。アルバム・タイトルの『ダイアナ・ロス・プレゼンツ・ジャクソン・ファイブ』が示すように、彼らの後見人は、すでに大スターの地位にあったダイアナ・ロスだった。ジャクソン・ファイブは、1枚目のシングル「アイ・ウォント・ユー・バック」から「ABC」「ザ・ラブ・ユー・セイブ」と、颯爽とした歌でヒットを重ね全米のアイドルとなっていく。特に「アイル・ビー・ゼア」などのバラードでは、マイケルの個性と才能がいかんなく発揮された。マイケルが1980年代において「世界のポップ・ミュージックの頂点に立った」といわれたとき、往年を知る人たちの多くから「少年時代のほうが優れている」と反論されたのも、当時のマイケルの歌声がどれほどみずみずしかったかを示す傍証であろう。1972年にヒット・チャート1位となったマイケル個人名義のバラード「ベン」も名作として知られている。
 しかしジャクソン・ファイブのブームは、それほど長くは続かなかった。自作曲を歌えず、レコーディングでは楽器を持たせてもらえないといった扱いもメンバーには不満の種だった。そして1976年、彼らはモータウンからエピック・レコードに移籍する。「ジャクソン・ファイブ」の名称はモータウンが所有しているため、彼らはジャクソンズと名前を変えなくてはならなかった。同時に、マイケルとともに主要メンバーの一人であったジャーメインは、モータウンの社主の娘と結ばれたこともあり、モータウンを離れることをよしとせず、バンドは弟のランディ・ジャクソンRandy Jackson(1961― )をメンバーに迎えてスタートすることになった。しかしその後、望まれたような実績を残すことなく、活動は休止状態となっていく。
 マイケルがスーパースターとなったのち、ジャーメインを迎えた6人組によるアルバム『ビクトリー』が作られたのが1984年のことである。その後、不完全な形でメンバーが集まることがあるが、かつてのような期待をもって迎えられることはない。1997年、アメリカ・ポピュラー音楽史に残るバンドとしてジャクソン・ファイブは「ロックン・ロール・ホール・オブ・フェイム」(ロックの殿堂)の仲間入りを果たした。[藤田 正]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

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