ベン(読み)べん(英語表記)Gottfried Benn

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベン」の意味・わかりやすい解説

ベン
べん
Gottfried Benn
(1886―1956)

ドイツの詩人。西プロイセンのマンスフェルト牧師の子として生まれる。両世界大戦に軍医として従軍の時期を除き、ベルリン下町で皮膚・性病科医院を開業。処女詩集『死体置場(モルグ)』(1912)で従来の詩の世界ではタブーとされた死体を、皮肉な目で冷酷非情に歌い、表現主義の代表詩人としてセンセーショナルに登場。小説集『医師レンネ』(1916)や詩集『肉』(1917)、『瓦礫(がれき)』(1924)、『分裂』(1925)などでは醜悪な現実と合理主義的機能主義的文明に対する嫌悪を歌う一方、神話的原初的な世界への自己陶酔的な没入を歌う。医学、技術の専門用語、外来語を多用し、意想外な観念連合によるショッキングな効果をねらう独自の詩境を開く。現代のニヒリズムに芸術形式の力を対置しようとし、その過程でナチズムに傾斜する時期があった。短期間ののちに誤りを悟って筆を折り、「貴族的形式の亡命」と称し国防軍に身を投じる。第二次大戦後、『静学的詩集』、評論集『表現の世界』(1949)で新たに注目を集め、詩集『蒸溜(じょうりゅう)』(1953)、『終曲』(1955)などで、ことばの響きによる幻覚魅惑を確固たる形式に組み込む「絶対詩」を目ざし、ゲオルゲ、リルケ以後の最大の詩人として世界的名声を得、若い世代にも多大の影響を与えた。ほかに自伝『二重生活』(1950)、エッセイ叙情詩の諸問題』(1951)、戯曲『三人の老人』(1949)、『幕の背後の声』(1953)などがある。

[山本 尤]

『『ゴットフリート・ベン著作集』全三巻(1977・社会思想社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベン」の意味・わかりやすい解説

ベン
Benn, Gottfried

[生]1886.5.2. マンスフェルト
[没]1956.7.7. ベルリン
ドイツの詩人。父はプロシアの牧師,母はフランス系スイス人。哲学,神学を学んだのちベルリンの軍医学校で医学を修め,皮膚科と性病科の医者としてベルリンに定住,両世界大戦には軍医として従軍した。ニーチェと表現主義の影響下に文学活動に入り,処女詩集『死体置場』 Morgue (1912) で認められた。ナチス登場にはニヒリズムの克服としてこれを歓迎したが,まもなく失望,沈黙した。このことは戦後激しく非難された。晩年は,創造精神の表現としての芸術形式をニヒリズムのなかでの唯一のよりどころとした。『静力学的詩篇』 Statische Gedichte (48) などの詩集のほか,『抒情詩の問題』 Probleme der Lyrik (51) ほかのすぐれたエッセー,戯曲,自伝『二重生活』 Doppelleben (50) などがある。

ベン
Benn, Anthony Neil Wedgwood

[生]1925.4.3. ロンドン
イギリスの政治家。貴族の出身。 1943年爵位を返上して労働党に入党。第2次世界大戦中は空軍パイロットとして活躍。戦後オックスフォード大学に学んだ。 49~50年イギリス放送協会 BBCのプロデューサー。 50年労働党下院議員。 60年爵位襲名のため下院議員を辞任したが,63年再び爵位を返上,下院議員に返り咲いた。 66~70年教育・科学相。イギリスのヨーロッパ共同体 EC加盟反対のリーダー。 74年 H.ウィルソン内閣の工業相として産業国有化の拡大を推進,特に大手の自動車メーカー,レイランド社を国有化して話題を呼んだ。 75年エネルギー相,76~79年 J.キャラハン内閣でもエネルギー相をつとめた。

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