ダイアナ(読み)だいあな(英語表記)Diana Frances Spencer

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダイアナ」の意味・わかりやすい解説

ダイアナ(Diana Frances Spencer)
だいあな
Diana Frances Spencer
(1961―1997)

イギリスの元皇太子妃。称号プリンセス・オブ・ウェールズPrincess of Wales。レディー・ダイアナLady Dianaあるいはダイアナ妃Princess Dianaとよばれることが多い。スペンサー伯爵家に生まれ、中等教育終了後、幼稚園の教師として働いた。その間にチャールズ皇太子との婚約が整い、1981年、20歳になった直後に結婚した。美しいプリンセスとしてその挙動マスコミの注目を集め、ウィリアムヘンリーという2人の王子の母となって、幸せなイメージに包まれていたが、実際にはチャールズの愛人問題による夫との不和が進行し、拒食症におそわれたりしたのち、92年に別居生活を開始した。その後、自らの不倫についての告白も行い、96年、離婚が成立した。皇太子妃時代からさまざまな慈善団体への支援を行い、離婚後もエイズ問題や癌(がん)撲滅運動、地雷禁止運動に積極的にかかわった。離婚後の恋愛相手となったエジプト人の映画プロデューサー、ドディ・アルファイドとの休暇旅行中、97年夏、パリで自動車事故によって死去した。

[木畑洋一]


ダイアナ(ディアナ)
だいあな

ディアナ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダイアナ」の意味・わかりやすい解説

ダイアナ
Diana, Princess of Wales

[生]1961.7.1. イギリス,サンドリンガム
[没]1997.8.31. フランス,パリ
イギリス皇太子妃。オルソープ子爵(のちのスペンサー伯爵)の三女として生まれるが,両親の離婚後は父親のもとで育った。ノーフォーク,ケントの寄宿学校を卒業し,スイスでフィニッシング・スクールに通ったのち帰国。ロンドン近郊の幼稚園で保育士として働いていた 1981年2月にエリザベス2世の長男チャールズ皇太子(→チャールズ3世)と婚約し,同年 7月29日にセント・ポール大聖堂で結婚式をあげた。1982年に長男ウィリアムが,1984年に二男ヘンリー(通称ハリー)が誕生。天性の魅力と王室の華やかなイメージによって国民の人気を集めた。恵まれない子供やエイズ患者などに対する福祉活動を熱心に行なう一方で,結婚生活は破局に向かい,1992年に別居,1996年には正式に離婚した。その後も対人地雷禁止運動などを続けたが,1997年にパリ市内で交通事故により死亡。

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