アメリカの画家。マサチューセッツ州モールデンに生まれる。フィリップス・アカデミーで絵画を学んだのち、プリンストン大学で美術史を修める。1950年代末「黒の絵画」(ブラック・ペインティング)でデビューするが、それは抽象表現主義のオール・オーバーの空間を継承するとともに、演繹(えんえき)的な方法によって、形体と色彩を組み合わせる造形的構成を否定し、ミニマル・アートの先駆と目される。1960年代中ごろからその展開として、幾何学的形体をもつ単色のシェープド・カンバスによる絵画を制作、さらには分度器状の形体を組み合わせる多色の絵画へと変化する。1970年代後半からレリーフ状の構築物に向かい、過去の芸術を参照、咀嚼(そしゃく)しながら、無機的、有機的な形体を混交した鮮明な色彩によって感情的な表現を試みる。さらに1990年代には、コンピュータも駆使しながら、鋳造パーツを複雑に組み合わせた巨大な立体作品や、建築的スケールの公共空間のプロジェクトなども手がけている。彼の作品は自己破壊的といわれながら、つねに歴史を参照しながら新たな空間構造の追求を行っていた。
[藤枝晃雄・小西信之]
『フランク・ステラ著『フランク・ステラ』(1991・新潮社)』▽『『現代美術第18巻 ステラ』(1993・講談社)』▽『ディックアート編『フランク・ステラ――総合芸術プロジェクト』(1994・淡交社)』▽『E・ディ・アントニオ、ミッチ・タックマン著、林道郎訳『現代美術は語る――ニューヨーク・1940-1970』(1997・青土社)』
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…しかしこれは元来A.ポープらのスクリブリアラス・クラブでの企画から生まれたといわれる。晩年の1728年には彼が長い交友関係を持った女性エスター・ジョンソン(ステラ)の死があったが,その詩の中の風刺的な活力は衰えなかった。《貴婦人の衣装部屋》(1730)や《スウィフト博士の死》(1731)は有名。…
※「ステラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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