アメリカ合衆国ニューヨーク市のマンハッタンとブルックリンの間に架かるつり橋。1883年竣工。19世紀後半,商業都市として発展し過密化していたマンハッタン島と,隣接して成長を続けていたブルックリンを結ぶ交通手段はイースト川のフェリー・ボートだけであった。ベルリン大学でヘーゲルに接して傾倒したのち,ドイツから移民して,ワイヤケーブル製造の企業化に成功し,ナイアガラ川を横断するつり橋などの実績で名声を博していた土木技術者レーブリングJohn Augustus Roebling(1806-69)は,イースト川をまたぐつり橋の計画を提案,1867年に設立されたニューヨーク・ブリッジ・カンパニーによって建設された。技師長となって設計・監督にあたったレーブリングは,測量中の事故で負傷して死亡,長男のワシントンWashington Augustus R.(1837-1926)が後を継いだ。ワシントンはケーソン(潜函)作業が原因の潜水病を患いながら,鋼鉄ワイヤを束ねた鋼索の初めての使用や橋脚工事でのケーソンの導入など,革新的な橋梁技術を開拓した技術史上画期的な難工事を病室から望遠鏡で監督して完遂させた。13年の工期と総工費1500万ドルを費やして完成した橋は,イースト川の両岸に建つ高さ84mの花コウ岩の橋塔をつなぐ4本の太さ40cmの鋼索に支えられ,橋塔に開かれたゴシック風のアーチをくぐる路面は馬車用,鉄道用各2車線,さらに高架式の遊歩道がつけられており,つり橋として当時世界最長で主径間487m,全長1825mであった。1883年5月24日,アーサー大統領が臨席して開通式を迎えた。ニューヨークの都市景観を支配するブルックリン橋の出現は,自然を征服して発展するアメリカの力を象徴する〈新世界の偉大な記念碑〉とたたえられ,世界の七不思議と並ぶ8番目の不思議に数えられた。その姿は多くの芸術家のイメージをかきたててきたが,なかでも,H.H.クレーンがブルックリン橋を題材に〈アメリカの神話〉を歌いあげた詩集《橋》(1930)がよく知られている。
執筆者:山本 理気
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
アメリカ合衆国、ニューヨーク市のイースト・リバーに架けられている橋。近代吊橋(つりばし)架橋技術の基礎を築いた歴史的名橋である。1883年に完成した三径間吊橋で、中央支間は486メートルあり、当時としては驚異的な長さであった。ケーブルの権威であったジョン・レーブリングとその息子のワシントン・レーブリングの献身的な努力のすえに完成した橋で、父は工事中に事故で死亡している。
[堀井健一郎]
…521mの二つの径間をもつこのカンチレバー・トラス橋は,パリのエッフェル塔と並んで,19世紀のヨーロッパを代表する巨大構造物として今も威容を誇っている。一方,アメリカでは,83年レーブリング父子の精魂を込めたニューヨークのブルックリン橋Brooklyn Bridge(つり橋,支間487m)が誕生したが,このフォース,ブルックリン両橋はその後20世紀にかけての長大支間化への幕あけとなった橋である。とくにアメリカのつり橋はまさに黄金時代を迎え,次々と記録を更新して,1931年にはついに1kmを超す支間のジョージ・ワシントン橋George Washington Bridgeが,37年には以後四半世紀にわたり世界一の座を保ったゴールデン・ゲート橋(支間1280m)が完成した。…
…しかしそれ以降,つり橋の黄金時代はアメリカに移った。その牽引力となったのはJ.A.レーブリングで,彼は1854年,支間246mの鉄道・道路併用つり橋をナイアガラ滝に架け,息子のW.A.レーブリングとともに心血を注いだニューヨークのブルックリン橋(支間487m)は83年に完成した。20世紀に入って,アメリカでは続々と記録破りのつり橋が誕生し,1931年にはついに1kmを超える支間をもつジョージ・ワシントン橋The George Washington Bridgeがニューヨークのハドソン川に架設され,37年には以後四半世紀にわたって王座を占めたゴールデン・ゲート橋(支間1280m)が作られた。…
…521mの二つの径間をもつこのカンチレバー・トラス橋は,パリのエッフェル塔と並んで,19世紀のヨーロッパを代表する巨大構造物として今も威容を誇っている。一方,アメリカでは,83年レーブリング父子の精魂を込めたニューヨークのブルックリン橋Brooklyn Bridge(つり橋,支間487m)が誕生したが,このフォース,ブルックリン両橋はその後20世紀にかけての長大支間化への幕あけとなった橋である。とくにアメリカのつり橋はまさに黄金時代を迎え,次々と記録を更新して,1931年にはついに1kmを超す支間のジョージ・ワシントン橋George Washington Bridgeが,37年には以後四半世紀にわたり世界一の座を保ったゴールデン・ゲート橋(支間1280m)が完成した。…
…1837年ペンシルベニア州の土木技師となって運河工事に従事したが,ケーブルを麻製から鋼製に変える必要性に気づき,41年にアメリカで最初のワイヤロープ製造所を設立した。またつり橋型の水道橋や,ナイアガラの滝に臨む最初の鉄道用つり橋など,多くのつり橋を建設したが,とくに彼の設計したブルックリン橋(つり橋,主径間長486m)は有名である。彼は67年に同橋建設事業の主任技師に任命され,69年に工事が開始されたが,工事中の負傷が原因で急逝,このため同事業は息子のワシントンWashington Augustus Roebling(1837‐1926)に引きつがれた。…
※「ブルックリン橋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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