スペイン独立戦争(読み)すぺいんどくりつせんそう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「スペイン独立戦争」の意味・わかりやすい解説

スペイン独立戦争
すぺいんどくりつせんそう

1808年から1814年にかけて、ナポレオン1世のイベリア半島侵略に対してスペイン民衆が抵抗し、スペインの独立を守った戦争半島戦争ともよばれる。ナポレオンは、大陸封鎖令を出してイギリスと大陸との貿易を遮断しようとしたが、ポルトガルはイギリスとの関係を切ることができず、ナポレオンは1807年ポルトガルに出兵し、リスボンを占領した。ついで同年スペインの要地を占領した。当時、スペインでは、カルロス4世の王妃マリア・ルイサの愛人であった宰相ゴドイManuel de Godoy y Alvarez de Faria(1767―1851)が政治的実権を握っていた。国民のゴドイに対する不満が高まって、1808年3月、反ゴドイの反乱によって王子フェルナンドが即位した。同年5月10日、ナポレオンは兄ジョゼフをスペイン国王の地位につけた。これより先の5月2日、マドリードの民衆はフランス占領軍に対して蜂起(ほうき)した。ゴヤは『5月2日』『5月3日』の絵でこの蜂起と報復とを描いている。このマドリードの蜂起によって、スペイン全土にわたる独立戦争が勃発(ぼっぱつ)した。各地方は実際上の権力であるフンタ評議会)をたて、民衆はフランス軍に対してゲリラ戦展開した。ゲリラということばは、このときの小戦闘guerrillaというスペイン語に由来する。同年8月、イギリス軍がスペインに上陸してスペイン軍を援助した。1810年、フランス軍は攻勢に出たが、翌1811年には敗勢に向かった。1813年10月にイベリア半島にあったフランス軍はほぼ一掃された。この間、各フンタの代表が南部の港カディスに集まり、1810年9月から国会コルテス)が開かれ、1812年3月「1812年憲法」を制定した。この憲法は自由主義的色彩の濃いもので、王権を制限し、基本的人権・民主主義を規定し、農地改革の諸条項を含んでいた。このスペイン独立戦争は、ナポレオンの大陸支配が崩壊する転機をなした。

[斉藤 孝]

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改訂新版 世界大百科事典 「スペイン独立戦争」の意味・わかりやすい解説

スペイン独立戦争 (スペインどくりつせんそう)

ナポレオンの侵略に反対するスペインの戦争(1808-14)。フランス軍が1808年3月マドリードに接近し,無能なスペイン王カルロス4世と王妃マリア・ルイサおよび大臣のM.ゴドイの政治に対する国内の不満が,3月17日のアランフエス暴動に引き続いて5月2日のマドリード民衆の蜂起を生んだ。この蜂起は,すぐにスペイン全土に広がった。バイレンの戦(1808年7月)のスペイン側の勝利は,ナポレオンの兄でスペイン王のホセ1世のマドリード撤退を余儀なくした。しかしナポレオンが兄を助けるためスペインへ入ると,スペインの大半がフランス軍占領下におかれることになった。しかしスペイン国民はサラゴサヘロナの包囲戦で英雄的な抵抗を示し,またイギリスがスペインを支援した。なかでもウェリントンに率いられたスペイン軍,および各地のゲリラ集団(エスポス・イ・ミーナ,エル・エンペシナード,メリーノ司祭,エローレス男爵らが率いた。これが史上最初の〈ゲリラ〉戦である)が,スペイン全土において活発な反フランス軍活動を行った。その結果,アルブエラ(1811),アラピレス(1812),ビトリアとサン・マルシアル(1813)の各戦いによってスペイン側の勝利が決定的となった。戦争中各地に形成された地方評議会Juntas provincialesから成る中央最高評議会Junta Suprema Centralは,王位の空白を補い政権の安定をはかった。そして,1810年からカディスに召集された議会(コルテス)は,12年に自由主義の原則に基づくカディス憲法を作成・制定した。なおゴヤによって描かれた《戦争の惨禍》という一連のエッチングや,《5月2日》と《5月3日》の2点の絵は,この戦争中に示されたスペイン国民の愛国主義を不朽のものとした。
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百科事典マイペディア 「スペイン独立戦争」の意味・わかりやすい解説

スペイン独立戦争【スペインどくりつせんそう】

1808年―1814年にスペイン民衆がナポレオンの支配に抗して行った戦争。1808年5月2日マドリード蜂起(ほうき)に端を発し,全国的にゲリラ戦を展開,ウェリントン指揮の英軍も来援して,フランス軍を一掃した。その間スペイン国会はフランス憲法に範をとった自由主義憲法を制定。
→関連項目スペインナポレオン[1世]ホベリャノス

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「スペイン独立戦争」の解説

スペイン独立戦争(スペインどくりつせんそう)
Guerra de la Independencia

1808~14年,ナポレオンのスペイン侵略に対する抵抗戦争。半島戦争ともいい,カタルニャではフランス人戦争という。08年5月2日フランス軍とマドリード民衆が衝突すると,フランス軍はこれを鎮圧し,ナポレオンは兄ジョゼフをスペイン王(ホセ1世)に任命した。各地で評議会が結成され,民衆も各地で独自の抵抗を展開したが,フランス軍は09年ほぼ全土を掌握し,10年エブロ以北の地域をフランスに併合。同年,非占領地のカディスで国民議会が開催されたが,他地域との連絡は乏しかった。12年ナポレオンがロシア遠征のため軍隊を削減すると,イギリス軍が進軍し各地のゲリラも反撃に転じたため,13年6月にジョゼフは退位し,フランス軍も14年6月にはスペインから撤退した。

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世界大百科事典(旧版)内のスペイン独立戦争の言及

【スペイン】より

… 前述したフランス軍(ナポレオン軍)のスペイン侵入が1808年に始まると,同年5月2日,マドリード市民は占領軍に対して武器を持って立ち上がった。最終的にナポレオンの大軍の前に屈したにせよ,このマドリード市民の蜂起は,すべてのスペイン人をスペイン独立戦争(1808‐14)へ駆り立てる契機になるとともに,スペインの針路を定める役割という点で,民衆が政治の表舞台へ歴史上初めて登場したことを意味していた。スペイン国民の抵抗が続く中で,ナポレオンはカルロス4世がフェルナンド7世へ譲った王位を,兄のジョセフ・ボナパルトへ移譲させるのに成功した(ホセ1世)。…

※「スペイン独立戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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