イギリスの小説家。スコットランドに生まれ,グラスゴー大学に学んだと考えられる。グラスゴーの外科医の下で修業し,1739年ロンドンに行き,翌年海軍に入隊,41年のカルタヘナ沖海戦に加わる。ジャマイカに滞在後イギリスに帰り,外科医としてロンドンで開業するが,医業より文筆に興味を覚え風刺詩などを書く。48年フランスの作家ル・サージュの《ジル・ブラース物語》を模して《ロデリック・ランダム》を出版し名声を上げる。以後《ペリグリン・ピックル》(1751),《ファゾム伯爵ファーディナンド》(1753)を出版。いずれもピカレスク風(悪者小説)の作品である。その間大陸を旅行し,また《ドン・キホーテ》を翻訳(1755)した。56年月刊誌《クリティカル・レビュー》の創刊にたずさわり,その編集者となる。この雑誌は1817年まで存続した。1760年にはさらに別の月刊誌《ブリティッシュ・マガジン》を発刊し,ドン・キホーテ風の小説《サー・ランスロット・グリーブズ》(1762)を連載した。その後ボルテール全集の翻訳を刊行したり,ジョージ3世の首相ビュート伯を支持する週刊誌《ブリトン》を刊行するなど,職業作家,ジャーナリストとして活躍した。63年から65年までフランス,イタリアを旅行,その体験を《フランス,イタリアの旅》(1766)として出版した。そのころから病気がちで,療養のため国内各地や大陸に転地する。最後の小説《ハンフリー・クリンカー》(1771)は死の数ヵ月前に出版の作品だが,旅行記と書簡体とを混合した形式をとり,作者自身を思わせる人物マシュー・ブランブルの健康を求めての旅を,さまざまな人間模様のなかに描き出した彼の代表作である。彼の作品はディケンズに影響を与えている。
執筆者:榎本 太
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
イギリスの小説家。スコットランド出身。S・リチャードソンやH・フィールディングらとともに18世紀中ごろに人気があった。彼の生涯については伝説的要素が多く、不確実なところがあるのは小説『ロデリック・ランダム』(1748)に自伝的要素を織り込んだためといわれる。グラスゴー大学を中退し海軍軍医助手となってカルタヘナ遠征に従軍、のちロンドンで外科医を開業しながら『ロデリック・ランダム』を書いた。フランスのル・サージュの『ジル・ブラース物語』の英訳を出したり、前者の続編ともいうべき悪党物語『ペリグリン・ピクル』(1751)などを書いて近代的写実小説の発展に寄与した。一方、ジャーナリストとしても活躍したが、健康を害して1763年フランス、イタリアに遊び、その旅行記を書いたりした。最高傑作は旅行記と書簡体とを混合した『ハンフリー・クリンカー』(1771)で、彼はこの小説をイタリアで完成し、故国におけるその成功を知らず異国で没した。日記形式の旅行小説として異色のものである。彼のユーモアはこの最後の作品に花を開きかけたが完成せずに終わった。不道徳な素材のため、死後しばらくは不評であったが、ピカレスク(悪漢)小説作家としてその写実性を買われ、19世紀初期に名をなしたディケンズに大きな影響を与えている。
[櫻庭信之]
『村上至孝著『笑いの文学 スターンとスモレット』(1955・研究社出版)』
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