ロシア連邦西部,同名州の州都。人口31万9329(2004)。863年から知られるロシア最古の都市の一つ。モスクワとミンスクを結ぶ線上にある鉄道交通の要所。882年よりキエフ公国の版図に入り,12世紀にはスモレンスク公国の首都となった。1404年から約1世紀の間リトアニア大公国の領土となったが,1514年モスクワ大公国によって併合された。17世紀初頭の〈動乱時代(スムータ)〉にポーランド軍に占領されたが,1667年の近郊アンドルソボの休戦条約の結果,ロシアに帰属した。このように,常にロシア国家の西方国境の防衛拠点として戦術上重要な位置を占め,1812年のナポレオン軍の侵入,1941年のナチス・ドイツ軍の侵入に際してのスモレンスク会戦は名高い。11世紀の教会,16世紀末の要塞壁が残るほか,今日は工業都市としても知られ,同州の工業生産高の40%以上を占める。とくに機械製造や軽工業(オートメーション機器,計算機,電球,冷蔵庫,ラジオ部品など)が盛んである。
執筆者:栗生沢 猛夫
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ロシア連邦西部、スモレンスク州の州都。ドニエプル川上流の丘陵地帯にあり、市街は両岸に広がっている。人口35万5700(1999)。ドニエプル川下流、西ドビナ川、ボルガ川の各流域を結ぶのに便利な位置にあるため古くから開け、町の起源はキエフ時代(9~12世紀)にさかのぼる。戦略上の要地として、17世紀初頭のポーランドとの戦争、1812年のナポレオン軍との戦争、第二次世界大戦における1941年のドイツ軍との戦闘など、しばしば外国勢力の攻撃の的となり、被害を受けた。とくに第二次世界大戦中の41年7月から43年9月までドイツ軍に占領され、市街のほとんどが破壊された。このときドイツ軍に押収された文書で、のちに共産党独裁下の統治が研究された。戦後復興し、現在は発展著しく、州の工業、文化の中心地となっている。主要な工業は機械、食品、繊維、建設資材工業である。また、医科、体育、教育の各大学、ドラマ劇場、人形劇場、郷土博物館などの教育・文化施設がある。旧市街はドニエプル川左岸の丘陵にあり、12世紀建造のペテロ・パウロ聖堂、ビルスカヤ聖堂などの歴史的建造物のほか、行政・文化施設がある。右岸には工業企業が多い。緑地も多く、ロシアで美しい町の一つといわれている。市はまた交通の要地で、鉄道、ハイウェーの分岐点であり、河港をもっている。
[外川継男・中村泰三]
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ロシア西部の都市。ネストルの年代記に出てくる古い都市で,12世紀にはモスクワ,カルーガまで含む公国の中心だったが,その後1611年にはポーランドに占領され,1667年最終的にロシア領となった。
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