ソ連の宇宙飛行士。ロシア連邦のスモレンスクの生まれ。オレンブルグ市航空学校を経て、空軍に入隊した。1961年4月12日、ウォストーク1号(ボストーク1号)に搭乗して、世界最初に大気圏外を飛行、1時間48分で地球を1周して着陸予定地に帰還した。
宇宙を飛行中のことば「……地球がよく見える。美しい。地球は青い」はまさに劇的な名文句である。1962年(昭和37)には親善使節として来日した。世界各国を親善訪問したのちは、後輩の宇宙飛行士の養成や訓練に努めていたが、1968年3月、通常の飛行機での訓練中に事故死した。盛大な葬儀ののち、モスクワ、クレムリンの城壁に葬られた。
[新羅一郎]
1961年4月12日,宇宙船ボストーク1号に乗り,人類最初の宇宙飛行を行ったソ連の宇宙飛行士。宇宙船はバイコヌール基地からA型ロケットにより打ち上げられ,地球を1周,1時間48分間の軌道飛行の後,ソ連領内エンゲルス市付近のコルホーズ農場にパラシュート帰還した。このとき,彼の発した〈地球は青かった〉は,その後の有人宇宙飛行時代の開幕を告げるものとして有名である。ロシア連邦共和国グジャーツク(1968年ガガーリンと改称)に4人兄弟の次男として生まれ,1957年オレンブルグ航空士官学校を卒業した。初の宇宙飛行を27歳という若さで成し遂げた彼は,68年3月ジェット機訓練中の事故により死亡した。1962年に来日している。
執筆者:川口 淳一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
1934~68
世界最初の宇宙飛行士。ソ連農民の子に生まれ,選ばれて空軍飛行士から宇宙飛行士となった。1961年4月12日,宇宙船「ヴォストーク」で人類最初の108分の宇宙飛行を行った。事故で死亡。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…旧ソ連の初期の有人宇宙船。1961年4月12日に打ち上げられた1号はYu.A.ガガーリンを乗せ1時間48分に及ぶ人類初の宇宙飛行を成功させ,世界最初の有人宇宙船となった。2号(1961年8月)ではG.S.チトフが25時間18分の宇宙飛行を行い,3号は4号との間で人類初のランデブー飛行に成功(1962年12月),5号(1963年6月)ではV.F.ブイコフスキーによる119時間6分の長期宇宙滞在記録を樹立した。…
※「ガガーリン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新