ダマスカス(英語表記)Damascus

翻訳|Damascus

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ダマスカス
Damascus

シリアの首都で,シリア最大の都市。アラビア語ではディマシュク Dimashq。カーシューン山麓で,グータオアシスの間に位置する。住民の大部分はアラブ人,ほかにドゥルーズ人,クルド人などがいる。市街はバラーダ川で二分され,南岸は旧市街でモスク,キャラバンサライ,市場,キリスト教徒居住地区,ドゥルーズ教徒居住地区があり,1979年世界遺産の文化遺産に登録。なかでもウマイヤモスク (→ダマスカスの大モスク ) やスーク・ハミーディーヤは,中東で有数のものである。北岸は 1940~60年に新市街が急速に発展した。絨毯,皮細工,金属工芸などの伝統産業のほかに製糖,ガラス,織物,セメントなどの工業が発達。イスラム,キリスト両教徒の聖地。ペルシアに続いてアレクサンドロス3世 (大王) やセレウコス朝が征服し,ローマ時代には商業都市として発展した。のちキリスト教が広まり,司教座が置かれた。 635年アラブ人が侵入し,661年から 750年までウマイヤ朝の首都として,イスラムの政治,文化の中心地となった。 1076年にはセルジューク・トルコが占領。 12世紀後半にはアイユーブ朝が興り,サラディン治下,町は繁栄をきわめ,宗教,文化が開花し,数多くの壮麗なモスクが建築された。 1516年にはオスマン帝国が征服し,その支配は以後 400年間続いた。 1946年シリア独立と同時に首都となった。人口 161万4500(2004推計)。

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デジタル大辞泉の解説

ダマスカス(Damascus)

シリア‐アラブ共和国の首都。シリア砂漠西端のオアシス都市で、古代から東西交通の要地。絹織物・金銀細工など伝統的な手工業が営まれる。現存する世界最古の都市の一で、661年~750年にはイスラム帝国ウマイヤ朝の首都として繁栄。通称オールドダマスカスと呼ばれる城壁に囲まれた旧市街にはウマイヤドモスクサラディン廟があり、1979年「古都ダマスクス」として世界遺産(文化遺産)に登録。2013年、国内騒乱による破壊などが理由で危機遺産に登録された。人口、行政区168万(2008)。アラビア語でディマシュクまたはシャームダマスクスダマスコ

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百科事典マイペディアの解説

ダマスカス

シリアの首都。アンチ・レバノン山脈から流れるバラダー川の谷口部にあるオアシス都市。鉄道,道路など交通の要地で,国際空港もあり,政治・経済の中心。農業地帯の中心でもあり,果実,穀類を産する。貴金属,宝石細工,絨緞(じゅうたん)などの手工業のほか,紡績,化学工業も発達。大学(1923年創立),博物館がある。現存する世界最古の都市の一つとされ,歴史は紀元前3000年にさかのぼる。前10世紀にアラム人が都とし,アッシリア,バビロニア,ローマ,ビザンティン帝国などに支配された。回心後のパウロの伝道地(《使徒行伝》)でもある。7世紀以後イスラム勢力の下にあったが,1516年オスマン帝国領。シリア独立後その首都。1979年世界文化遺産に登録。141万4913人(2004)。
→関連項目シリア

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大辞林 第三版の解説

ダマスカス【Damascus】

シリア-アラブ共和国の首都。シリア砂漠西縁のオアシス都市。絹織物・金銀細工などの手工業が盛ん。世界最古の都市の一。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ダマスカス
だますかす
Damascus

シリアの首都。アラビア語ではディマシュクDimashqまたはシャームal-Shmとよぶ。シリアの南西部、アンティ・レバノン山脈東麓(とうろく)のシリア高原上のバラダー川がつくった扇状地面に位置する。人口186万1900(2003推計)。標高約700メートル。気候は乾燥し(年降水量158.5ミリメートル)、夏は高温(7月の平均気温26.5℃)、冬は温暖(1月の平均気温5.8℃)である。
 バラダー川の扇状地はグータとよばれる大オアシスで、用水路が張り巡らされ、小麦、ブドウ、オリーブ、アンズ、野菜などの栽培が盛んであり、これらの農産物を集散するほか、絹織物、金銀細工、装飾品などの伝統的な手工業が営まれる。また近年は、食料品、繊維、化学などの近代工業もおこってきた。ヨルダンの首都アンマンと鉄道、道路で結ばれるほか、レバノンの首都ベイルート、イラクの首都バグダードとも道路が通じる国際的な陸上交通の要衝で、巨大なスーク(バザール)には、現地産・国産の工芸品のほか外国製品を扱う小売店が軒を並べ、活気がある。また、1969年にフランスの援助によって完成した国際空港がある。多くの史跡があり、スークのそばにある8世紀初期に建てられたウマイヤ・モスク、地下に設けられた聖ハナイア教会、あるいはパウロが吊籠(つりかご)に身を託して追っ手から逃れたという史跡に建つ聖パウロ教会などは有名である。国立博物館やダマスカス大学も所在する。市街はバラダー川の恵みを受け、樹木と庭園が多く、川を挟んで南には旧市街、北には新市街が広がる。背後にはカシオン山がそびえる。1979年には「古都ダマスカス」として世界遺産の文化遺産(世界文化遺産)として登録されたが、内戦により甚大な被害を受けたとして、2013年には危機遺産リスト入りしている。[末尾至行]

歴史

現存する世界最古の都市の一つといわれ、古来、東西交通の要地として繁栄した。紀元前10世紀、アラム王国の首都であったが、その後アッシリア、セレウコス朝、ローマ、ビザンティン帝国の支配を受けた。ビザンティン時代はシリア州の首都であった。635年アラブ・イスラム軍によって征服され、正統カリフ時代はシリア州の総督府として、また軍事基地として存在した。661年ムアーウィヤ1世がウマイヤ朝の首都として以来、「ウマイヤ家のモスク」に象徴されるように、同朝の政治・文化的中心として繁栄した。アッバース朝が創建され一地方の州都となった。9世紀以来、同朝支配体制が弛緩(しかん)して、イフシード朝、ザンギー朝など多くの地方王朝の重要な拠点となった。1148年、十字軍の征服を免れたのち、エジプトからのアイユーブ朝の英主サラディンによる対十字軍戦略の基地の一つとなった。ザンギー朝時代から継続されていた各種学院の創設、商・工業の振興などにより13世紀中ごろに最盛期を迎えた。マムルーク朝時代、首都カイロに次ぐ第二の都市として繁栄を続けたが、1260年と1300年のモンゴル軍の侵入で荒廃した。1400年ティームール軍の徹底的破壊・略奪の結果、30年の間廃墟(はいきょ)と化していた。1516年オスマン帝国の一州都に編入されたのち、東西貿易の中継地として、またメッカ巡礼の集結地として脚光を浴び、かつての繁栄を取り戻した。第一次世界大戦後、オスマン帝国の支配を脱し、1918年、一時ファイサルの「アラブ王国」の首都となったが、1920年からのフランスの委任統治を経て、1946年の独立後、シリアの首都となった。[花田宇秋]

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