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ダルマチア ダルマチア Dalmacija; Dalmatia

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ダルマチア
ダルマチア
Dalmacija; Dalmatia

クロアチア,アドリア海沿岸地方の歴史的呼称。海岸に迫るディナルアルプス南西斜面と湾と港の多い狭い海岸平野および海岸沿いに連なる約 1000の島々から成る。古くからイリュリア人ダルマチア族が住んでいたが,前4世紀からギリシア人も入植。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉の解説

ダルマチア(Dalmatia)

クロアチア南部、アドリア海沿岸地方の称。ダルマチア式海岸の入り江が多く、保養地として知られる。ダルマティア

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監修:松村明
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大辞林 第三版の解説

ダルマチア【Dalmacija】

クロアチア共和国のアドリア海沿岸地方。背後はディナルアルプス山脈で、美しい海岸の景観から観光・保養地として知られる。中心都市スプリット。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ダルマチア
だるまちあ
Dalmatia

クロアチア共和国南西部の一地方。リエカ以南のアドリア海岸をさす。狭義にはザダルからコトール湾付近までをいう。第三紀後半のアルプス造山運動によってアペニン山脈ディナル・アルプスの間の低地帯として形成された地域である。現在の海岸は完新世(沖積世)の沈水海岸である。地質構造はディナル・アルプスの走向と一致し、白亜紀の石灰岩からなるカルスト台地と第三紀のフリッシュからなる低地帯とが帯状にこの走向に沿って分布し、海岸線や600余りの島嶼(とうしょ)の配列もこの走向に支配されている。地中海性気候(平均気温は7月24℃、1月7℃)で、年降水量は600~900ミリメートル前後である。海岸の広域を占める石灰岩地域では、ローマ時代以来植生が回復せず、裸出カルストをなすが、貧弱な赤色の土壌(テラロッサ)を利用し、オリーブ、ラベンダー、ブドウの栽培が行われている。冬季にはディナル・アルプスからアドリア海に向けて乾燥した寒風ボラが吹き、これを利用して美味なダルマチアン・ハムがつくられる。中世の都市の姿をいまもとどめるザダル、トロギール、コルチュラ、ドゥブロブニクなどの美しい町が点在し、観光客に人気がある。牧畜、漁業が盛んで、ボーキサイト、大理石、石灰岩の採掘も行われる。クルカ川、ツェティナ川は重要な水資源として発電に利用される。[漆原和子]

歴史


古代
古代にはローマの属州の一つで、イリリクムの一部をなした。この地では太古からトラキア人、イリリア人、ケルト人の3民族が入り交じっている。ダルマチアという名は好戦的イリリア人系の部族デルマタエDelmataeに由来する。彼らは一時イリリア王国に従属したが、紀元前168年にイリリア王国がローマに敗れてからは独立を維持した。ダルマチアに対するローマの軍事行動は紀元前158年から幾度か行われ、紀元前34~紀元前33年にオクタウィアヌス(アウグストゥス)がその大部分を征服し、紀元後6~9年のイリリクムの大反乱の間にダルマチアは最終的に征服された。紀元後9年にイリリクムは上イリリクム、下イリリクムの2属州に分割され、これらはフラウィウス朝のころまでにダルマチア、パンノニアとよばれるようになった。[市川雅俊]
7世紀以降
7世紀にクロアチア人がダルマチアの内陸部にまで到達した。それまでビザンティン帝国の影響が強かったが、中世クロアチア王国とベネチアが互いにその統治権を争った。1102年にはクロアチアとダルマチアがハンガリー王国の支配下に置かれた。以後ダルマチアをめぐるハンガリーとベネチアの抗争が続くが、15世紀にベネチアの支配が確立した。この時期多くの正教徒セルビア人がダルマチアに移住した。オスマン帝国のバルカン進出以後、18世紀に至るまで、ベネチアとオスマン帝国との対立が繰り返されたが、1714年のベネチア・トルコ戦争により、ベネチアの支配が強化された。しかし1797年ベネチア共和国がナポレオン軍に敗北を喫し、ダルマチアは一時オーストリアに譲渡された。1809~1813年には「イリリア諸州」としてナポレオンの統治下に置かれた。ナポレオンの敗退後、オーストリアの領土に組み入れられた。ダルマチアの人口の大多数を占めるクロアチア人は、クロアチア人としての意識を強め、オーストリアの支配下でクロアチアとの連合を要求。この要求は20世紀に入り、いっそう強まった。しかし、セルビア系住民は自治運動を展開した。第一次世界大戦後、「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国」(1929年以後ユーゴスラビア王国)に統一され、1946年クロアチアが旧ユーゴスラビアの一共和国となるに伴って同共和国の一地域となった。1991年、クロアチアは独立した。[柴 宜弘]

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