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クロアチア共和国のアドリア海に面する港町。イタリア名ザーラZara。人口7万6000(1991)。前4世紀イリュリア人はヤデルIaderと命名,ローマ時代はディアドル。自治都市(コムーネ)を経て10世紀にはクロアチア人の国家(トルピミロビッチ朝)に編入される。ベネチアのライバルだったため,1202年,第4次十字軍により徹底的に破壊された。1797年まではベネチア,1805-13年はフランス,1918年まではオーストリア,両大戦間はイタリアの支配下に甘んじ,第2次大戦後ユーゴスラビアに復帰した。ローマ時代のフォルム跡,中世の城壁,八葉形プランをもつ聖ドナト教会(9世紀),聖クルシェバン教会(12世紀),聖ストシャ大聖堂など見るべきものも多い。造船・精密機械・繊維・食品工業が発達し,有名なシェリー・ブランデー〈マラスキーノ〉はここの産。考古学および民俗博物館,国立古文書館などの文化施設,単科大学(文学),師範学校,アカデミー研究所などの教育機関があり,ダルマツィア地方の中心地となっている。観光地としても有名。
執筆者:田中 一生
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
クロアチア共和国南西部の都市。ダルマチア地方の海岸に位置し、アドリア海に臨む。人口7万2718(2001)。入り江が天然の良港をなし、一部は漁港となっている。周辺の丘ではブドウ、オリーブなどが栽培される。鉄道、道路、フェリーによって周辺地域と結ばれている。マラスキノ、チェリー酒などのリキュールが特産であるほか、たばこ、造船、漁業用機器、編物機械などの工場がある。紀元前4世紀にイリリア人の町として建設され、ヤデルJaderの名でよばれた古い町。前2世紀にはローマの植民都市となり、ビザンティン、ベネチアの支配を経て、第一次世界大戦までオーストリア・ハンガリー帝国の支配下にあった。1918~1945年イタリア領(イタリア語名はザラZara)、1947年パリ条約により旧ユーゴスラビアに帰属したが、1991年クロアチアは独立した。ローマ遺跡があるほか、13世紀の銀細工が施された聖ドナト教会の大聖堂など多くの中世の教会があり、観光保養地ともなっている。スプリト大学の哲学部、考古学・民俗学博物館もある。
[漆原和子]
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[酒]
ラキヤrakijaと呼ばれるブランデー,なかんずくプラムで作られるシュリボビツァšljivovicaが南方の名産。食前酒のマラスカmaraska(イタリア名マラスキーノ)は,ダルマツィア海岸ザダルの特産。シェリー酒である。…
※「ザダル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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