ダンスタブル
John Dunstable
生没年:1390?-1453
イギリスの作曲家。生涯についてはほとんどわかっていないが,一時ベドフォード公に仕えていたらしい。ダンスタブルの曲がイタリアの写本などに数多く残されているため,彼がイタリアないしは大陸に赴いたとする説もあるが,確証はない。彼は音楽家であると同時に数学者,天文学者でもあり,晩年は,音楽よりも天文学に多くの時を割いていたようである。
作品としては,ミサ曲,ミサの一章(キリエ,グロリアなど),モテット,世俗曲など,約50曲知られている。様式的には,14世紀のアイソリズム(同一リズム型の反復)の手法を用いたものから,時代の先端を行く朗唱風のものまで多岐にわたっている。アイソリズム・モテット(4声が多い)以外の3声の曲の内部で,2声で進行する場面がよく見られる。また和音の連続の形をとるイギリス風ディスカントと呼ばれる書法に特徴的な3度や6度の音程が多く用いられている。このイギリス好みの3度や6度が大陸に入って,近世につながる4声書法の成立を促したこともあり,ダンスタブルの名は,死後も永く記憶にとどめられた。
執筆者:戸口 幸策
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「ダンスタブル」の意味・わかりやすい解説
ダンスタブル
英国の作曲家。その生涯についてはほとんどわかっておらず,亡骸(なきがら)が葬られているロンドンの教会の墓碑銘から他界の日付が,追悼詩から数学者,天文学者でもあったその経歴が知られている。作品がヨーロッパ大陸に広く伝わったことは今日に伝わる多くの写本が物語るとおりで,その音楽様式はデュファイ,バンショアなどに影響を及ぼした。作品はミサ曲,モテットなどの宗教音楽や世俗歌曲など約50曲が現存し,保守的傾向のものから朗唱風の新しい様式のものまで多様な書法がみられる。
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ダンスタブル
Dunstable, John
[生]1385頃.ダンスタブル?
[没]1453.12.24. ロンドン
イギリスの作曲家。生涯についてはほとんど知られていない。天文学者,数学者でもあった。ベッドフォード公に音楽家として仕え,1422~35年フランス,特にパリに滞在していたことはほぼ確実である。3度や6度の協和音の重視や不協和音の新しい処理の仕方などで特色のあった彼の音楽は大陸で広く流布し,G.バンショアや G.デュファイに大きな影響を与えた。作品は約 55曲保存され,4声のモテト『ウェニ・サンクテ・スピリツス』 Veni sancte Spiritusやイタリア語歌曲『うるわしきばら』などが有名。
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ダンスタブル
だんすたぶる
John Dunstable
(1390?―1453)
イギリスの作曲家。姓はDunstapleとも書かれる。百年戦争末期に北フランスを統治したベッドフォード公ジョンに仕えたこと以外、経歴についてはほとんど知られていないが、当時から優れた音楽家として名声を博し、天文学者、数学者としても知られていた。作品は、ミサ曲やモテトゥスなどの宗教曲がほとんどを占めるが、とくにミサ曲では、各章に共通の定旋律を用いて全体を統一しようとする試みがなされ、それは、イギリス独特の和声法などとともに、デュファイをはじめとする同時代のヨーロッパ大陸の作曲家に大きな影響を与えた。
[今谷和徳]
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世界大百科事典(旧版)内のダンスタブルの言及
【イギリス音楽】より
…また歴史的に起伏の激しいこともその特徴で,黄金時代と呼べるような隆盛期がいくつかある一方,その間にほとんど空白に近い沈滞期が続くという極端な展開を示している。すなわち黄金時代としては,第1にダンスタブルJ.Dunstable(1390ころ‐1453)を中心とする中世からルネサンスへの転換期,第2にタリスT.Tallis(1505ころ‐85),W.バード,J.ダウランド,O.ギボンズらの手によって声楽,器楽の両分野において目覚ましい展開が見られたチューダー朝とそれに続くジェームズ1世時代,第3にパーセルを中心とする王政復古時代,そして第4にボーン・ウィリアムズからブリテンにいたる現代を挙げることができる。またこのほかに例外的なケースとして18世紀前半におけるヘンデルの活躍がある。…
【イギリス音楽】より
…また歴史的に起伏の激しいこともその特徴で,黄金時代と呼べるような隆盛期がいくつかある一方,その間にほとんど空白に近い沈滞期が続くという極端な展開を示している。すなわち黄金時代としては,第1にダンスタブルJ.Dunstable(1390ころ‐1453)を中心とする中世からルネサンスへの転換期,第2にタリスT.Tallis(1505ころ‐85),W.バード,J.ダウランド,O.ギボンズらの手によって声楽,器楽の両分野において目覚ましい展開が見られたチューダー朝とそれに続くジェームズ1世時代,第3にパーセルを中心とする王政復古時代,そして第4にボーン・ウィリアムズからブリテンにいたる現代を挙げることができる。またこのほかに例外的なケースとして18世紀前半におけるヘンデルの活躍がある。…
【ブルゴーニュ楽派】より
…なかでも[フィリップ2世]の治世(1419‐67)には,オランダ,ベルギー,ルクセンブルク,フランスの一部などを含む一大公国となっていたが,歴代君主が芸術を保護したので,公国は諸文化面とりわけ音楽分野でヨーロッパの中心的存在となり,多くの優れた音楽家を輩出した。1420年代の後半からディジョンの宮廷礼拝堂聖歌隊員となったバンショアは,モテットや宮廷風恋愛歌に多くの傑作を残したし,属領であった北フランスのカンブレーでは,イギリスの[ダンスタブル]やイタリア音楽の影響を受けたデュファイが,宗教曲や世俗曲で新鮮な響きを生み出していた。これら二大作曲家のほかには,フォンテーヌPierre Fontaine(14世紀末~1450ころ),カンブレーの楽長リベールReginaldus Libert(生没年不詳),フランドル出身のランタンLantins一族,エーヌ・ファン・ギゼゲムHayne van Ghizeghem(生没年不詳),ビュノアAntoine Busnois(1430ころ‐92)らの名を挙げることができる。…
【ルネサンス音楽】より
… 約200年にわたるルネサンス時代は大別して[ブルゴーニュ楽派]の活躍を中心とした初期(1420‐80ころ),[フランドル楽派]の台頭から通模倣様式の完成に至る中期(1480‐1530),円熟期であるとともにマニエリスム的傾向がみられるようになる後期(1530‐1600ころ)に分けることができる。1400‐20年は中世からルネサンスへの過渡期とも考えられ,フランスを中心に中世理論に基づく最も複雑な音楽が作曲され続けた一方では,[J.ダンスタブル]によって代表されるイギリス楽派の手によって,より単純で響きのよい作品が生み出されていた。後者の影響をたぶんに受けて成立したブルゴーニュ楽派は,中世の形式や作曲法を一部受け継ぎながらも,新鮮な感覚と素直な芸術的表現によって,まったく新しい音楽様式を確立し,国際的活躍によってその様式をヨーロッパ各地に流布した。…
※「ダンスタブル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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