フランスの作家マルタン・デュ・ガールの大河小説。1922~40年刊。『灰色のノート』(1922)、『少年院』(1922)、『美しい季節』(1923)、『診察』(1928)、『ラ・ソレリーナ』(1928)、『父の死』(1929)、『1914年夏』(1936)、『エピローグ』(1940)の八編からなる。敬虔(けいけん)なカトリック教徒で実業家のオスカル・チボーの2人の息子、アントアーヌとジャック、ジャックの友人でプロテスタントの家庭の息子ダニエルの3人の若者を中心に、まず展開されていく。アントアーヌは秀才で将来を嘱望される医師で現実主義者として、ジャックは成功者で典型的なブルジョアの父親に反抗し少年院に入れられる理想主義者として、ダニエルは、母親である美しいフォンタナン夫人の寵愛(ちょうあい)を一身に受ける、ませた享楽主義者として描き出され、『チボー家の人々』最初の6巻では、これら3人の主人公が第一次世界大戦前の典型的なブルジョア家庭で、どのようにしてそれぞれ思春期を経て異なった三つの人格を形成していくかが物語られる。
しかし第七巻の『1914年夏』になると、焦点は、数年前家出して革命家の群れに投じ、いま歴史の流れを止めようとする反戦主義者として現れるジャックと、すでに医師として一家をなしたが歴史の流れに翻弄(ほんろう)される平凡な市民アントアーヌに絞られ、2人を通じて大戦直前の緊迫した社会の動きそのものが小説の前面にせり出してくる。こうした歴史小説としての結構をはっきりとみせるこの巻のあとに、そのような歴史への批判とでもいった形で『エピローグ』がくる。ここでは、反戦びらをまきながら飛行機事故で墜落したジャックの死後、ダニエルは戦場で身障者となり、アントアーヌも毒ガスのため余命いくばくもないといった、まさに崩壊しつつある大戦中のチボー、フォンタナン両家が描かれる。そしてその全編を貫くのは、ジャックとダニエルの妹ジェンニーとの間に生まれた遺児ジャン・ポールへのかすかな希望がかいまみられるにせよ、いまや歴史への深い懐疑を抱き出した、死を待つアントアーヌの灰色の思念にほかならない。こうして二つの家族の歴史は、そのまま第一次大戦そのものの歴史とぴったり重なり合い、ここにたぐいまれなみごとな歴史小説が完成される。
[渡辺一民]
『山内義雄訳『チボー家の人々』全五巻(1956・白水社)』
フランスの作家R.マルタン・デュ・ガールの長編小説。1922-40年刊。20世紀フランス文学の代表的な〈大河小説〉のひとつと目されているこの作品は,8部11巻より成り,作者は完成までに18年の歳月を費やしている。第1部《灰色のノート》,第2部《少年園》,第3部《美しい季節》,第4部《診察》,第5部《ラ・ソレリーナ》,第6部《父の死》,第7部《1914年夏》,第8部《エピローグ》というふうに構成されているこの大作は,20世紀初頭から第1次大戦にかけての十数年を時間の枠組みとしている。新旧両世代,キリスト教の新旧両教徒の2家族,正反対の気質の兄と弟の対立などを,時代の激浪がことごとく虚無のなかにのみこんでしまう。大作の2本柱は,チボー家のアントアーヌとジャックの兄弟である。大きく変容し変質する世界に対して,医学生の兄は科学的合理主義を武器とし,文学少年の弟は革命的ロマン主義をかざして立ち向かおうとする。しかし,さまざまな希望を人々に夢見させながらも大戦の破局へと突進していった世界は,兄を毒ガス戦の犠牲に供し,反戦ビラをまこうとする弟を乗せた飛行機を墜落させて,あえない最期をとげさせる。ここには,時代の嵐に翻弄され,大戦に青春を破壊され,未来を奪われた同世代の青年たちへの,作者の限りない痛恨がある。作者は第7部の《1914年夏》(1936)によって,1937年のノーベル文学賞を受けた。
執筆者:若林 真
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