チボー(読み)ちぼー(英語表記)Jacques Thibaud

日本大百科全書(ニッポニカ) 「チボー」の意味・わかりやすい解説

チボー(Anton Friedrich Justus Thibaut)
ちぼー
Anton Friedrich Justus Thibaut
(1772―1840)

ドイツ法学者。ゲーテやシラーとも交友があった。1802年イエナ大学、1806年以降ハイデルベルク大学のローマ法教授。自然法学の理性的合理主義歴史法学の保守的経験主義に反対した。ナポレオンがドイツから駆逐された1814年、民族統一運動の高揚とともに『統一的ドイツ一般民法典の必要性について』を発表して、フランス民法典を範とした法典編纂(へんさん)により、各地方ごとに分裂した法を統一し、国民的統合を図るべきだと主張した。これに対し歴史法学派サビニーが時期尚早を唱え、有名な法典論争が展開されたが、チボーはサビニーの革命への恐怖心を見抜いていた。チボーの提案が国家によって実現されたのは、ようやく19世紀後半になってからであった。

[佐藤篤士]


チボー(Jacques Thibaud)
ちぼー
Jacques Thibaud
(1880―1953)

フランスのバイオリン奏者。ボルドー生まれ。パリ音楽院を卒業してコロンヌ管弦楽団に入り、コンサートマスターを務めたのち、独奏者として世界各地に演奏旅行。一方、ピアノのコルトーと組んだ二重奏、これにチェロカザルスを加えた三重奏でも一世を風靡(ふうび)、楽名を高めた。技巧を重視した巨匠型の演奏ではなかったが、洗練された感覚で典雅に温かく歌い上げる点で余人の追随を許さず、とりわけ近代フランス音楽で独自の境地を示した。1943年ピアニストのマルグリット・ロンと協力して「ロン―チボー国際コンクール」を創始。わが国には第二次世界大戦前2回来日、53年(昭和28)三度目の来日の途中、彼を乗せた飛行機がアルプスに激突して墜落、73歳の生涯を閉じた。

[岩井宏之]

『J・ティボー著、粟津則雄訳『ヴァイオリンは語る』(1969・白水社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チボー」の意味・わかりやすい解説

チボー
Thibaut, Anton Friedrich Justus

[生]1772.1.4. ハーメルン
[没]1840.3.28. ハイデルベルク
ドイツの法学者。ゲッティンゲンのほか,カントのいたケーニヒスベルク,キールの各大学で学び,キール大学のローマ法の教授をはじめ,イェナ,ハイデルベルクで教職についた。『ドイツ一般民法の必要性について』 Über die Notwendigkeit eines allgemeinen bürgerlichen Rechts für Deutschland (1814) という小論が F.K.von サビニーとの「法典論争」のきっかけとなったことは有名。

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