スウェーデンの生物物理化学者。8月10日、ストックホルムの学者の家系に生まれる。イョーテボリの中学時代にティセリウスの心はすでに科学に傾き、当時一流の物理化学者スベドベリーのもとで学ぼうと1921年ウプサラ大学に入学した。そして1925年、念願のスベドベリーの研究室に入り、当時超遠心機によるタンパクの沈降速度の研究に全精力を傾けていた師の指導と理解のもとでタンパクの電気泳動の研究に専心、これにより1930年学位を得た。1934年から1935年にかけアメリカに滞在、スタンリー、ノースロップ、ランドシュタイナーら偉大な生物化学者の影響を受けてウプサラに帰りタンパクを分離する精密な電気泳動装置の製作に専心、ついに1937年、有名な「ティセリウスの装置」を完成し、血清タンパクを4種に分離することに成功した。1940年代からは、ゼオライト(粘土の一種)、紙、ゲルなどのなかでの各種タンパク、高分子の吸着力の差を利用してこれらを分離する方法、いわゆるクロマトグラフィーの改良に従事、生体物質の分離法に画期的な進歩をもたらした。これらの業績に対して1948年ノーベル化学賞が授与された。健康に恵まれた彼も晩年心臓を弱らせた。医師の忠告にもかかわらずある集会に出席、発作に襲われて倒れ、翌朝死去した。1971年10月29日のことであった。
[中川鶴太郎]
スウェーデンの物理化学・生化学者。ウプサラ大学卒業後,同大学のT.スベドベリのもとで,コロイド,とくにタンパク質溶液の電気泳動(溶液中の巨大帯電粒子が電界やpHの影響で移動する現象)の研究を続けた。1938年同大学に彼のために設けられた生化学教授の地位につき,48年同大生化学研究所長,1946-50年スウェーデン科学研究会議長,60年ノーベル財団会長。在任中にノーベル・シンポジウムの創設に尽力。生化学に物理化学的方法を導入することに関心が強く,1937年巧妙な移動界面法を用いる新電気泳動装置を製作した(ティセリウスの装置)。血清タンパク質は,スベドベリの考案した超遠心分離機によりアルブミンとグロブリンからできていることがだいたいわかっていたが,彼は自作の装置を用いて,血清タンパク質を分離し,アルブミンとα-,β-,γ-グロブリンの4種を得た。そして抗体がγ-グロブリンであることを見いだした。以後この装置は,混合物の分析や分離・精製に広く応用されるようになり,臨床医学にも使われるようになった。彼はまたアミノ酸やタンパク質分解物溶液の吸着法による分析法などを研究し,生化学における重要な発見,諸装置の開発などの功により48年ノーベル化学賞を受けた。彼の多彩な功績のため,アミノ酸・タンパク質の化学は大きく進展した。
執筆者:渡辺 健一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
スウェーデンの生化学者.ウプサラ大学のT. Svedberg(スベドベリ)のもとでコロイド化学を学び,1925年Svedbergの助手となる.タンパク質溶液の電気泳動に関する研究で,1930年学位を取得し,同年ウプサラ大学化学助教授となる.1934年ロックフェラー財団奨学金を受けてプリンストン大学のH.S. Taylorのもとへ留学し,多くの生化学者,物理化学者と交流して帰国.1938年ウプサラ大学に新設された生化学教室の教授となる.移動界面法による電気泳動装置を考案(1937年)し,血清タンパク質がアルブミン,α-,β-およびγ-グロブリンに分離されることを発見した.この装置は混合物の分析や分離精製に広く利用された.また,γ-グロブリンと抗体産生の関係や,アミノ酸・タンパク質の吸着分析などの研究もある.1948年ノーベル化学賞を受賞.国際純正および応用化学連合会長や,ノーベル財団理事長も務めた.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
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