テルミドール9日(読み)テルミドールここのか

百科事典マイペディア 「テルミドール9日」の意味・わかりやすい解説

テルミドール9日【テルミドールここのか】

フランス革命期の1794年7月27日(革命暦テルミドール9日),国民公会多数派がクーデタによってロベスピエール派を逮捕,処刑した事件。この事件によって山岳派独裁は倒され,革命は退行することになったため,〈テルミドールの反動〉とも呼ばれる。
→関連項目革命裁判所|恐怖政治|公安委員会(フランス)|サン・ジュスト|ジャコバン・クラブ|フーシェ

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改訂新版 世界大百科事典 「テルミドール9日」の意味・わかりやすい解説

テルミドール9日 (テルミドールここのか)
le 9 Thermidor an Ⅱ

フランス革命期の1794年7月27日にロベスピエール派を失脚させた反動的なクーデタをいい,その日が共和暦(革命暦)第2年テルミドール9日に当たるのでこの名がある。93年6月から山岳派の独裁が始まり,議会(国民公会)内部の公安委員会に権力が集中され,恐怖政治がしだいに強化されていったが,94年初めから議会の内外で分派の争いが激しくなり,そのころ主導権を握っていたロベスピエール派は,まず左翼のエベール派を処刑し,次いで右翼のダントン派を処刑するにいたった。だが,このような分派抗争によって,国民公会の多数派は恐怖政治の進展に不安を抱くようになり,7月27日(テルミドール9日)にロベスピエールを失脚させるクーデタが成功し,その翌日,ロベスピエールたちは処刑された。それ以後,革命は退潮に向かうことになるので,このクーデタは〈テルミドールの反動〉とも呼ばれている。また,一般的には,革命がその頂点から反動に向かう転換期を〈テルミドール〉と呼ぶことが多い。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「テルミドール9日」の解説

テルミドール9日(テルミドールここのか)
le 9 thermidor

1794年7月27日(共和暦2年テルミドール9日),ロベスピエール派の没落した日をさす。この日,国民公会多数派によってロベスピエール派は非難を受け,その夜パリ市庁で逮捕,翌日処刑された。

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