フーシェ(読み)ふーしぇ(その他表記)Joseph Fouché

デジタル大辞泉 「フーシェ」の意味・読み・例文・類語

フーシェ(Joseph Fouché)

[1759~1820]フランス政治家。革命期には反革命派を弾圧。のちテルミドールの反動に加担。総裁政府ナポレオン時代・王政復古の間は警察大臣として権勢をふるった。「変節の政治家」として有名。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「フーシェ」の意味・わかりやすい解説

フーシェ(Joseph Fouché)
ふーしぇ
Joseph Fouché
(1759―1820)

フランスの政治家。フランス革命およびナポレオン時代に活躍し、「変節の政治家」として有名。教職から革命家に転身し、1792年国民公会議員となり、山岳派に属した。1793年、国王ルイ16世の死刑に賛成し、恐怖政治下、種々の監督にあたる地方派遣議員として王党派の反乱を過激に鎮圧したため、ロベスピエールらにテロリストと目されて対立、1794年7月テルミドール事件(テルミドールの反動)に加担してこれを倒した。この反動期、1795年8月に逮捕されたが、大赦によって放免され、総裁政府下、巧みに政界に処し、1799年警察長官となって反政府勢力を弾圧した。しかも同年11月、反政府のクーデターにナポレオン・ボナパルトを支持、その執政政府時代および帝政期にも警察長官となり、巧妙なスパイ網をもって反ナポレオン陰謀を防ぎ、1809年オトラント公の称号を得た。しかし一方では反ナポレオンの動きを示し、一時は亡命したのち、ナポレオンの「百日天下」のときまた警察長官となった。同時にブルボン王家と通じ、王政復古下では現職にとどまったが、やがて外交職に移され、ついに1816年「ルイ16世処刑賛成者」として追放を受け、トリエステに引退して世を去った。

[山上正太郎]

『S・ツワイク著、高橋禎二・秋山英夫訳『ジョゼフ・フーシェ――ある政治的人間の肖像』(岩波文庫)』


フーシェ(Alfred Foucher)
ふーしぇ
Alfred Foucher
(1865―1952)

フランスの考古学者。東洋史、仏教史に精通し、パリ高等研究院教授、フランス極東学院(ハノイ)院長などを歴任した。「インド学」を提唱したシルバン・レビのもとで学んだ彼は、1895年にインドに向けて調査に出たのを初めとして、パキスタンイランアフガニスタンなどを訪れてガンダーラなどの仏教美術についての調査を行った。とくにアフガニスタン政府とは、1922年から30年間フランスの調査団が同国内の遺跡を独占的に調査を行うという協定を結び、カブールに「フランス考古学派遣団」(DAFA)を創設して、バーミアン石仏の調査をはじめ、バクトリア王国に関する諸遺跡の調査研究などに成果をあげた。

[植山 茂]

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改訂新版 世界大百科事典 「フーシェ」の意味・わかりやすい解説

フーシェ
Joseph Fouché
生没年:1759-1820

フランスの政治家。大西洋岸の港町で,船乗りの家に生まれたが,虚弱だったのでオラトリオ会の神学校に入り,物理学の教師になった。フランス革命が始まると,故郷に近いナントで政治活動を始め,1792年に国民公会議員に選出された。国民公会では山岳派に所属して国王の処刑に賛成し,反革命の反乱が生じたリヨンに鎮圧のため派遣されると,徹底的な武力鎮圧方針をとって多数の反革命派を処刑し,〈リヨンの霰弾(さんだん)乱殺者〉というあだ名を得た。しかし,94年にロベスピエールと対立してその打倒のために暗躍し,テルミドール9日ののち,総裁政府のもとで警察大臣になり,ナポレオンのブリュメール18日クーデタを助け,彼のもとで1809年まで警察大臣として秘密警察網を敷き,同年オトラント公爵ducd'Otranteになったが,やがてナポレオンと対立し,王政復古に協力した。しかし,王政復古のもとで,かつて国王の処刑に賛成したことが災いして,1816年に国外に亡命し,オーストリア領トリエステに隠棲してそこで死去した。その変転常なき生涯はS.ツワイクの史伝などによって〈変節の政治家〉として有名である。
執筆者:


フーシェ
Alfred Foucher
生没年:1865-1952

フランスの東洋学者。ハノイのフランス極東学院院長(1901,1905-07),パリ大学教授(1919)などを歴任。仏教美術を中心にした考古学的実地調査は,インド亜大陸,インドシナ,ジャワ,西域,中国,日本に及び,その成果は《ガンダーラのギリシア・仏教美術》2巻(1905-51),《仏教美術の始原》(1917)など多くの著作に結実した。ほかにB.H.ホジソン収集のネパール・チベット仏画の目録(1897)などがある。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フーシェ」の意味・わかりやすい解説

フーシェ
Fouché, Joseph, Duc d'Otrante

[生]1759.5.21. ナント,ペルラン
[没]1820.12.26. トリエステ
フランスの政治家。オラトリオ会学校の教師をつとめ,フランス革命が勃発するやジャコバン・クラブに加入し,1792年9月国民公会議員。国王ルイ 16世の裁判では死刑に賛成し,山岳派に籍をおいた。しかしヌベールやリヨンでの革命指導の行過ぎを M.ロベスピエールに批判されて以後テルミドールの反動の謀略に参加。フリュクティドール 18日のクーデターでは P.バラスを助け,その功績でイタリア,次いでオランダ派遣の政府代表となった。 99年7月総裁政府の警察大臣に任命され,ブリュメール十八日のクーデターではナポレオン・ボナパルト (ナポレオン1世) に味方し,執政政府の警視総監に就任。 1802年辞任したが,G.カドゥーダルの陰謀の発見に寄与して 04年再び登用された。 09年オトラント公となったが,ナポレオンのスペイン遠征中 C.タレーランとの策謀が発覚して皇帝の信用を落した。ナポレオンの退位後ルイ 18世の警察大臣となったが,16年の法令によって国王弑逆者として追放され,プラハリンツ,トリエステに亡命。主著『回想録』 Mémoires (1822~24) 。

フーシェ
Foucher, Alfred

[生]1865.11.21. ロリアン
[没]1952. ソー
フランスの東洋学者。 1901~07年フランス極東学院長,19年パリ大学インド語教授。 26年東京日仏会館代理館長。彼の最大の仕事はインド美術をギリシア美術と関係づけたことである。数度にわたってインド,インドシナ,アフガニスタンに学術探検し,バーミアーン峡谷の遺跡を調査。主著"Études sur l'iconographie bouddhique de l'Inde" (1900) ,"Sur la frontière indo-afghane" (01) ,"L'Art gréco-bouddhique du Gandhāra" (2巻,05~51) ,"La vie du Buddha,d'après les textes et les monuments de l'Inde" (49) 。

フーシェ
Fouché, Jacobus Johannes

[生]1898.6.6. ブルームフォンテーン
[没]1980.9.23. ケープタウン
南アフリカ共和国の政治家。ステレンブーシュ大学卒業。1941~50,1960~68年下院議員。1951~59年オレンジ自由州知事を経て,1959~66年国防大臣,1966~68年農業技術・水利事業大臣を務めた。1968年2月共和国第2代大統領に就任。1975年4月退任。

フーシェ
Foucher, Simon

[生]1644.3.1. ディジョン
[没]1696.4.27. パリ
デカルト学派を批判したフランスの哲学者。パリで神学を修め,司祭となった。アカデメイア派の再興者を自認。心身間の相互作用が存在する以上,精神と物体 (肉体) は類似したものであるとして,マルブランシュ,ライプニッツと論争した。

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百科事典マイペディア 「フーシェ」の意味・わかりやすい解説

フーシェ

フランスの政治家。聖職者出身。フランス革命では山岳派指導者の一員となり反革命の反乱鎮圧に活躍。テルミドール9日に荷担,総裁政府時代にはパリ警視総監。のちナポレオンに接近してブリュメール18日のクーデタに貢献し,1808年オトラント公。王政復古期にもパリ警視総監にとどまったが,間もなく職を追われた。約25年間,政治的な大変動期にもかかわらずその地位と権力を保った変節の政治家であった。
→関連項目ツワイク

フーシェ

フランスの東洋学者。ハノイの極東学院長,パリ大学教授などを歴任,1922年―1925年アフガニスタンの考古学的調査に従事した。その時発掘した美術品の多くはギメ美術館に収蔵。主著《ガンダーラのギリシア・仏教美術》《仏教美術の始原》《仏陀の生涯》など。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「フーシェ」の解説

フーシェ
Joseph Fouché, duc d'Otrante

1759~1820

フランスの政治家。初め聖職者でフランス革命時代に国民公会議員。過激なテロリストとしてロベスピエール打倒に暗躍したのち,総裁政府統領政府下に警務大臣となり,元老院議員,公爵にまでなるが,復古王政後はトリエステに引退した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「フーシェ」の解説

フーシェ
Joseph Fouché

1759〜1820
フランスの革命家・政治家
フランス革命・ナポレオン1世時代に活躍した「変節の政治家」の代表者。国民公会議員として恐怖政治時代にはリヨンの反革命派を処刑した。のちロベスピエールと対立し,テルミドール反動に暗躍。総裁政府下にはパリ警視総監となる。ブリュメール18日のクーデタを援助し,ナポレオン1世に接近。王政復古後も警視総監となったが,追放された。

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世界大百科事典(旧版)内のフーシェの言及

【政治警察】より

…具体的には,選挙・集会・結社・大衆運動・宗教などの規制,思想・言論・出版の検閲および規制をとおして,革命運動,クーデタ,労働運動,農民争議,植民地独立運動などの反体制的運動の鎮圧,取締り,諜報活動を主要な任務としている。近代政治警察はフランス革命直後に,王党派とジャコバン派の左右両派の抑圧のために,J.フーシェが創設した組織に端を発する。歴史上最も有名なナチス・ドイツのゲシュタポは,このフランス政治警察を模したプロイセンの政治警察を基本的に継承したものといわれている。…

【シャーバーズ・ガリー】より

…パキスタンの北西辺境州,ペシャーワルの北東約70kmにある村で,古代の通商路上の要衝として栄えた。A.フーシェは玄奘の《大唐西域記》に記される跋虜沙(ばろしや)城にあたるとした。南東の丘の西側山腹の岩とそこから落下した山麓の岩塊とにカローシュティー文字で刻まれたアショーカ王の磨崖法勅がある。…

※「フーシェ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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