日本大百科全書(ニッポニカ) 「革命裁判所」の意味・わかりやすい解説
革命裁判所
かくめいさいばんしょ
Tribunal révolutionnaire フランス語
1793年3月10日、フランス革命戦争の全般化と国内での反革命内乱の勃発(ぼっぱつ)に対処するため、反革命派の動きを抑えるべく設置された裁判所。同年9月容疑者を裁くために手続を簡素化するなどして活動を強化、「恐怖政治」のもっとも直接的な機関となった。王妃マリ・アントアネット、ジロンド派、過激派、さらにはダントン派、エベール派など、著名な政治的指導者の裁判にもあたったが、より日常的にはいわゆる「反革命容疑者」の裁判がその任務であり、一般民衆の恐怖かつ憎悪の的となった。ついにはその推進者たるロベスピエール派も断罪の対象となったが、その直後の94年8月に改組、弱体化され、翌年5月に廃止された。「恐怖政治」の最盛期にその犠牲となって刑死した者は、3万5000人から4万人といわれる。
[樋口謹一]