テレサ・テン(読み)テレサテン(英語表記)Teresa Teng

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「テレサ・テン」の解説

テレサ・テン
テレサテン
Teresa Teng


国籍
台湾

職業
歌手

本名
鄧 麗君(テン リーチュン)

生年月日
1953年 1月29日

出生地
雲林県龍岩村

経歴
中国圏以外での芸名テレサ・テン”はクリスチャン・ネームの“テレサ”を日本デビュー時にそのまま採用したもので、マザー・テレサに由来し本人が名付けた。台湾の芦沼小学校、金陵女子中を卒業後、1967年台湾で歌手デビュー。香港シンガポールなど東南アジアを中心に活躍。’74年「今夜かしら明日かしら」で日本デビュー。同年空港」のヒットレコード大賞新人賞を受けたが、’79年偽造旅券事件で国外退去に。その後はアメリカ留学を経て香港、シンガポールなどで精力的に活動し、東南アジア一帯での人気は不動のものとなる。’84年再来日し、「つぐない」が150万枚の大ヒット。続く「愛人」も150万枚、「時の流れに身をまかせ」は200万枚という驚異的なセールスを記録。3年連続日本有線放送大賞を受賞し、NHK「紅白歌合戦」にも出場。その切ない歌声は大陸(中国)でも親しまれ、’83年には「精神汚染追放運動」の対象にもなった。’89年からパリ拠点に活動。’92年日本で活動再開。’95年旅行先のタイ・チェンマイのホテルで、持病のぜんそくの発作に襲われ、42歳の若さで急逝した。アジアの歌姫として親しまれた一方で、中国の民主化運動を支援する闘士の顔も持っていた。

受賞
日本レコード大賞新人賞(第16回)〔1974年〕「空港」,日本歌謡大賞放送音楽新人連盟賞(第5回)〔1974年〕,新宿音楽祭銀賞(第7回)〔1974年〕,全日本有線放送大賞グランプリ(第17 18 19回)〔1984年 1985年 1986年〕「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」,日本有線放送大賞(第17 18 19回)〔1984年 1985年 1986年〕「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」,日本レコード大賞金賞(第28回)〔1986年〕「時の流れに身をまかせ」,日本レコード大賞特別功労賞(第37回)〔平成7年〕

没年月日
1995年 5月9日

伝記
歴史を生きた女性たち〈第1巻〉自分らしく豊かに生きて純情歌姫―テレサ・テン最後の八年間私の家は山の向こう―テレサ・テン十年目の真実テレサ・テンが見た夢―華人歌星伝説追憶のテレサ・テン―ともに歩んだ9年間の日々テレサ・テンの真実―悲劇の歌姫、国境を越えた愛 歴史教育者協議会 編鈴木 章代 著有田 芳生 著平野 久美子 著西田 裕司 著宇崎 真,渡辺 也寸志 著(発行元 汐文社角川書店,角川グループパブリッシング〔発売〕文芸春秋晶文社サンマーク出版徳間書店 ’09’07’07’96’96’96発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「テレサ・テン」の解説

テレサ・テン
テレサテン

07の歌手



国籍
台湾

生年
1953年1月29日

没年
1995年5月9日

出生地
雲林県

本名
鄧 麗君(テン リーチュン)

主な受賞名〔年〕
日本レコード大賞新人賞(第16回)〔’74年〕「空港」,日本歌謡大賞放送音楽新人連盟賞(第5回)〔’74年〕,新宿音楽祭銀賞(第7回)〔’74年〕,全日本有線放送大賞グランプリ(第17 18 19回)〔’84年 ’85年 ’86年〕「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」,日本有線放送大賞(第17 18 19回)〔’84年 ’85年 ’86年〕「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」,日本レコード大賞金賞(第28回)〔’86年〕「時の流れに身をまかせ」,日本レコード大賞特別功労賞(第37回)〔平成7年〕

経歴
台湾の人気歌手として1974年日本デビュー。同年「空港」のヒットでレコード大賞新人賞を受けたが、’79年偽造旅券事件で国外退去に。その後はアメリカ留学を経て香港、シンガポールなどで幅広く人気を獲得、東南アジアのスーパースターとなって’84年再来日。同年「つぐない」が大ヒット、続く「愛人」「時の流れに身をまかせ」のヒットで3年連続日本有線放送大賞を受賞し、紅白にも出場。その切ない歌声は大陸(中国)でも親しまれ、’83年には「精神汚染追放運動」の対象にもなった。’89年からパリを拠点に活動。’92年日本で活動再開。’95年旅行先のタイで急死。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「テレサ・テン」の意味・わかりやすい解説

テレサ・テン

台湾生まれのポピュラー歌手。10歳のころラジオののど自慢で優勝,1967年にレコード・デビュー,1970年代初めには香港,シンガポールで,1974年には日本でもデビュー。1970年代後半にはアジア全域で北京語で歌う歌手として活躍,中国大陸でも《何日君再来》などが人気を集め,中国のロック,ポピュラー音楽への影響も大きかった。中国政府からは〈堕落音楽〉として非難されたが,1983年には古典詩に曲をつけたアルバム《淡淡幽情》を発表して絶賛されるなど,世界中の華人社会で高い人気を得ていたが,タイで客死。1989年の天安門事件に際して抗議活動を展開したことも知られる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「テレサ・テン」の解説

テレサ・テン

1953-1995 台湾の歌手。
1953年1月29日生まれ。昭和49年日本にデビュー,「空港」のヒットで同年レコード大賞新人賞。54年偽造旅券事件で国外退去となるが,東南アジアのスターに成長して59年に再来日。「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」で同年から3年連続日本有線大賞。1995年5月8日旅行先のタイで死去。43歳。雲林出身。本名は鄧麗筠(トン-リーチユン)。芸名は英語圏ではTeresa Teng,中国語圏では鄧麗君(トン-リーチユン)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「テレサ・テン」の解説

テレサ・テン

生年月日:1953年1月29日
台湾の歌手
1995年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「テレサ・テン」の意味・わかりやすい解説

テレサ・テン
てれさてん

テン

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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