デルプフェルト(その他表記)Wilhelm Dörpfeld

改訂新版 世界大百科事典 「デルプフェルト」の意味・わかりやすい解説

デルプフェルト
Wilhelm Dörpfeld
生没年:1853-1940

ドイツの古典考古学者。高名な教育家フリードリヒ・デルプフェルトFriedrich W.D.の子。大学で建築学を修めたが,ドイツの第1回オリュンピア発掘(1875-81)に建築家として参加したことが,生涯の方向を定めた。この発掘中からのシュリーマン懇請によって,1882年以後のトロイア発掘に協力し,彼の死後は自らこの丘を発掘して,各層区分や年代や遺構を確定した。しかし彼の関心はギリシアにあり,87年からアテネのドイツ考古学研究所の長となり,諸遺跡発掘調査し,その精力眼識とによって当時のギリシア考古学界に大きな指導力をもった。おもな活動地は1907年以後3回にわたるオリュンピア,アテナイのアクロポリスディオニュソス劇場やアゴラ,イターキ島であり,それぞれの遺跡で発見や基本的な解明を行った。また古代諸建築を調査研究して,その構造や年代や技術を追究し,ギリシア古代建築研究の大成者となった。ギリシアを愛して常住し,レフカス島の自邸で没した。
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百科事典マイペディア 「デルプフェルト」の意味・わかりやすい解説

デルプフェルト

ドイツの考古学者。オリュンピアの発掘に携わったのち,1882年以後シュリーマンのトロイア発掘に従事。1887年―1912年アテネのドイツ考古学研究所長を務め,ペルガモンの発掘を指揮。特に古代建築史の研究で名高い。
→関連項目トロイア

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「デルプフェルト」の意味・わかりやすい解説

デルプフェルト
でるぷふぇると
Wilhelm Dörpfeld
(1853―1940)

ドイツの考古学者。1882年にアテネのドイツ国立考古学研究所に勤務し、そのかたわら、シュリーマンのトロヤ第二次発掘を援助するなど、ギリシア古典古代遺跡の調査に従事した。考古学研究所(アテネ)所長を務め(1887~1912)、イエナ大学名誉教授となった。ギリシアのレウカス島に永住し、オリンピアなどの発掘を行い、この地で没した。アテネのヘカドンペドン(古アテナ神殿)の発見やペルガモンの発掘は知られている。

[寺島孝一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デルプフェルト」の意味・わかりやすい解説

デルプフェルト
Dörpfeld, Wilhelm

[生]1853.12.26. ブッパータール
[没]1940.4.25. イオニア
ドイツの建築家,考古学者。 H.シュリーマンの跡を継いでトロイの発掘にあたったほか,オリンピア,ティリンスなど各地の古代ギリシア遺跡の発掘調査に従事した。

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世界大百科事典(旧版)内のデルプフェルトの言及

【トロイア】より

…伝説上のトロイアの都が実在すると信じたシュリーマンが,1871年はじめて手をつけ,以来4回の発掘によって,宮殿,城壁,財宝を発見し,多くの著書によってその信念を実証した。彼の死後は協力者であったデルプフェルトが1893‐94年に精密な発掘調査を行い,トロイア遺跡の各時期,遺構,遺物の科学的解明を行った(《トロヤとイリオン》1902)。さらにアメリカのL.ブレーゲンは1932‐38年に,より徹底的な発掘調査をして,いくつかの訂正と付加,各時期の細分を試みた(《トロヤ》4巻,1950‐58)。…

※「デルプフェルト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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