ジョージア(グルジア)の首都。人口110万3500(2002)。カフカス山脈南麓(なんろく)の広い裾野(すその)と、裾野を刻んで南流するクラ川河谷の標高500メートル前後の地に市街が広がる。名称はジョージア語の「ぬるい水」の意で、クラ河谷の温泉湧出(ゆうしゅつ)によると伝えられる。旧称チフリスТифлис/Tiflis。ザカフカス鉄道に沿い、支線を分岐し、カフカス山脈を越えるジョージア軍用道路の南の終点にあたる交通の要衝。古来、金属工芸、武具などの工房が集まっていたが、現在ではジョージア最大の工業集積地である。工作機械、電気機器、無線機、航空機、自動車(おもに貨物用)、電気機関車、農業機械などの工場がある。伝統工業、食品工業も盛んで、織物、皮革、ぶどう酒とブランデー(多くを輸出)、たばこ、陶磁器、金属工芸品などがある。1966年地下鉄が開通し、坂の多い街路とムタツミンダ丘にはケーブルカーがある。ジョージアの学芸・文化の中心地で、科学アカデミー、総合大学、高等教育機関、ジョージア民族美術館、劇場など多数の文化施設が置かれている。
[渡辺一夫]
紀元前3000年以前から集落があったとされるが、年代記には紀元後4世紀に初めて記される。東西・南北交通の要地として各地の文化が交錯した。4~5世紀に東ジョージアの有力な集落となり、6世紀にはその首都となって、ロシアよりはるかに早くキリスト教を受け入れた。その後、ペルシア、トルコ、モンゴル、アラブなどの侵攻を受けた。その間、12世紀にはダビデ4世統治の王国が繁栄した。19世紀初頭、ロシアの支配下に入り、そのザカフカス統治の中心となった。1921年、ソビエト政権のもとでジョージア・ソビエト社会主義共和国の成立とともにその首都となる(1991年からは旧ソ連邦から独立したジョージアの首都)。旧市街は市の南東部にあり、城壁、曲折した細い道路、中世の建築物などが残る。新市街は丘陵斜面に階段状に並び、赤茶色の屋根瓦(がわら)をのせた家屋が独特の風景をみせている。歴史的建築物に富み、旧市街に含まれるナリカラ要塞(ようさい)、メテヒ教会(1278創建)、シオン教会(6世紀創建)、アンチスハ教会(6世紀創建)などがある。
[渡辺一夫]
ザカフカス地方,グルジア共和国の首都。人口106万(2003)で,旧ソ連邦でも有数の工業,文化,学術の中心都市の一つ。地名は温かい鉱泉(〈トビリ〉はグルジア語で〈温かい〉の意)に由来する。1936年以前はロシア風にティフリスTiflisと呼ばれた。市街は大カフカス山脈の山麓のクラ川両岸に広がる。考古学上,前4000-前3000年にはすでに人が住んでいたことが知られ,年代記では4世紀に要塞都市として言及されている。5世紀後半ワフタング1世の下で東グルジアの中心都市に成長,6世紀初めグルジアの主都となる。7世紀アラブ,9~11世紀にはハザル,イラン,セルジューク・トルコの侵攻をうけた。1122年ダビト4世が解放し,統一国家の首都とするが,13世紀以降モンゴルなどの侵攻をうけ,15世紀末以降イラン,トルコの角逐の場となった。1801年,ロシアの東グルジア併合後はカフカス支配の拠点となり,45年カフカス総督府がおかれる。以後,バクーと並び,ザカフカスの二大中心都市として発展し,プーシキン,レールモントフらの作品の舞台ともなった。革命後の今日,機械・電気・食品工業,軽工業が盛ん。古い伝統をもつ劇場,オペラハウスがある。
執筆者:高橋 清治
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