フランス啓蒙(けいもう)期の唯物論者、無神論者。ドイツ南西部(現、ラインラント・プファルツ州)のエーデスハイム生まれ。ドイツ人貴族であったが、若いころからパリで生活し、ディドロとの交遊を通して『百科全書』に鉱物学、化学、博物学などの項目を執筆した。さらに1759年ダランベールが『百科全書』から手を引いてからは、自然科学関係の項目の編集に協力した。また彼の家で定期的に開催されたサロンには、ルソーやコンディヤック、ラ・メトリら当時の著名な啓蒙思想家の多くが姿を現したが、主著『自然の体系』(1770)はこのサロンでの議論を集大成したものと思われる。
ドルバックはディドロと並んでひときわ徹底した唯物論者であったが、とくに「宗教は人間の幸福と進歩の敵である」と断言し、『キリスト教暴露』(1756)以来の全著作を通して、信仰と迷信とに激しい批判を加えた。しかし政治思想に関しては、『良識論』(1772)、『社会の体系』(1773)、『普遍道徳論』(1778)にみられるように、社会悪の原因を個人の無知に求め、政治問題の解決の手段としての革命を認めなかった。
[坂井昭宏 2015年5月19日]
『野沢協訳『キリスト教暴露』(1968・現代思潮社)』
ドイツに生まれ,フランスに帰化した哲学者。ライデン大学で自然科学を学び,パリに戻ると,まだ無名の知識人ディドロ,グリム,ルソーたちと交友。ディドロ,ダランベール編集の《百科全書》には,化学,地質学など多数の項目を寄稿した。彼のパリの屋敷と近郊の別荘は,百科全書派の集会所であった。1760年に死亡しているミラボーの名で出版した主著《自然の体系》(1770)は,第1巻で唯物論的自然・人間論を,第1巻末尾と第2巻で徹底した無神論の主張を展開している。そこでは,人間の道徳的行為の動機である愛情,憎悪,利己心は,それぞれ物理学の引力,斥力,慣性との類比によって説明されている。このほか,《キリスト教暴露》(1767),《神聖伝染》(1768),《ウジェニーあての手紙》(1768)など,多くの徹底したキリスト教批判文書を偽名で刊行し,〈神の敵〉と称された。
執筆者:中川 久定
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1723~89
フランスの哲学者。ディドロ,ルソー,ラグランジュらと交わり,自宅に啓蒙主義者のサロンを開いた。彼らの説をとりいれて『自然体系』(1770年)を著し,『百科全書』にも多く執筆した。
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[認識論・知識論]
人間の理性が啓示や宗教的権威から独立にもちうる力の一面を身をもって示したガリレイ,ニュートンの名に象徴される近代自然科学の成立が,理性の自律を説く啓蒙思想にとってはかり知れないうしろだてとなった。啓蒙の認識論のスタンダードを定めたといってもよいロックの経験論から,さらには自然科学的説明方式の力により全面的に依拠したドルバックらの唯物論,人間機械論の哲学にいたるまで,この動向をぬきにしては考えられない。ロックの経験論は,イギリスでは,ヒュームの懐疑論にまで徹底され,またフランスに移植されてコンディヤックの感覚論を生む。…
…18世紀的唯物論がこれに加わる。モーペルテュイ,ビュフォン,ディドロ,ドルバックらが主要な進化思想家としてあげられる。モーペルテュイとビュフォンが,ボルテールとならんでフランスへのニュートン力学の紹介者であることは,この力学がフランス思想に自然の合則性の観念を直接培って,進化観念の土台を準備したことを示している。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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