主として19世紀のイギリスで有力となった倫理学説,政治論であり,狭義にはJ.ベンサムの影響下にある一派の思想をさす。ベンサムは《政府論断片》(1776)のなかで,〈正邪の判断の基準は最大多数の最大幸福である〉という考えを示した。彼はこれを立法の原理とすることによって,従来の政治が曖昧な基礎にもとづく立法に依拠していたのをただそうとしたのである。〈功利utility〉という語はすでにヒュームの《人間本性論》(1739-40)で用いられており,幸福(快楽)をもたらす行為が善で不幸(苦痛)をもたらす行為が悪だとする考えは,常識のなかには存在していたといえるが,ベンサムはそれを学問的な原理に高めようとしたのである。そして〈最大多数の最大幸福〉という原理は,個人の利害と一般の利害とを合致させることをめざしている。彼の《道徳および立法の原理序説》(1789)は,この功利の原理を展開したものである。すべての人間の行為の動機がつねに快楽の追求と苦痛の回避であるとすればすべての行為が正しいことになってしまうこと,自分の幸福と他人の幸福とが衝突することがあること,ベンサムの説く快楽の計算は実際にはきわめて困難なことなど,ベンサムの功利主義には種々の欠点があった。しかし,立法の原理として〈最大多数の最大幸福〉を提示することは,当時の立法者の少数有力者のための立法とそれにもとづく政治を批判する理論的根拠として有効であった。中産階級の人々にとっては〈幸福〉の具体的内容についての大体共通する理解があったからである。
ベンサムの強い影響を受けたJ.ミルは,ベンサムの思想を整理し,その宣伝に努めた。そして《人間精神の現象の分析》(1829)を書いて,功利主義をハートリーDavid Hartley(1705-57)の連合心理学によって基礎づけようとした。また彼は,功利主義の立場から代議制民主政治を主張し,《経済学要綱》(1821)においては功利主義にもとづく経済学思想を展開した。J.ミルの子J.S.ミルはベンサムの強い影響を受け,《功利主義論》(1863)を書いて,功利主義に対する種々の批判に反論したが,同時にベンサムが幸福(快楽)に質の相違を認めなかったのに対し,質の差別を認めた。〈満足した豚よりも満足しない人間である方がよく,満足した愚者であるよりも満足しないソクラテスである方がよい〉という彼の有名な言葉は,質の差別を示している。また彼は〈観念連合〉の原理を導入し,快楽を追求する利己的個人のなかに利他的行動を起こす心理的要因があるとし,もともと人間には〈共感〉や〈仁慈への衝動〉が存在すると説いた。
功利主義を提唱したベンサムとその影響下にある人々は,政治的な活動をおこない,1832年の〈選挙法改正案〉の議会通過に大きく貢献した。この〈改正案〉は中産階級の政治的発言権を拡大することになる。この政治的党派は〈ベンサム主義者Benthamites〉または〈哲学的急進派philosophic radicals〉と呼ばれた。彼らは政治的には代議制民主政治の確立を目ざし,経済的には自由放任主義を主張し,それを議会での立法を通じた改革によって実現しようとしたのである。
J.S.ミル以後,H.スペンサーは新しい学説として注目を集めていた〈進化論〉にもとづいて功利主義を基礎づけようとした。またイギリスの哲学者シジウィックHenry Sidgwick(1838-1900)は,心理的な事実としての快楽から道徳的原理を引き出すことはできないとし,実践理性の直覚する公正の原理こそが道徳の基礎であると説き,それに功利の立場を結びつけた。そして彼はJ.S.ミルと同じく快楽の質の差別を認め,質の高い快楽をめざすべきだと説いた。このように,ベンサムに始まる功利主義は,倫理思想であるだけでなく,社会思想としても展開し,19世紀のイギリス,そしてヨーロッパ全体に大きな影響を与えた。
執筆者:城塚 登
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行為の目的、行為の義務、正邪の基準を、社会の成員の「最大多数の最大幸福」に求める倫理、法、政治上の立場。イギリス思想に著しい考えで、古典経験論の創始者F・ベーコンにもすでにその傾向はみられる。また、ロック、ヒューム、古典経済学派、神学者たち、R・カンバーランドやF・ハチソンらのような17、18世紀の一群の道徳思想家などについても同様の傾向がみられる。とくにハチソンには「最大多数の最大幸福」とほぼ同じ句がみられる。
しかし、この立場を単純明快に定式化、組織化したのはJ・ベンサムで、それはミル父子により継承、発展させられた。彼らは幸福と快楽を同一視したが、ベンサムが七つの基準による快楽の計量可能性と快楽計算の構想を唱える「量的快楽主義」を主張したのに対し、J・S・ミルは快楽に質的な差を認めて「質的快楽主義」へと変わる。さらに、ベンサムは外的制裁を重んじたが、ミルは内面的な動機、良心、自己陶冶(とうや)の重要性も認めて、心情道徳、完成説への傾斜を示した。彼らと同時代の急進主義者たちにも功利主義の傾向がみられるが、以後もスペンサーやスティーブンらの進化論的功利主義、シジウィックの倫理、G・E・ムーアの特異な耽美(たんび)的功利主義などがある。さらに、現代イギリス日常言語学派の、メタ倫理学の暗黙の規範意識や、広くアングロ・アメリカンの道徳思想には、その多様な変形がうかがわれる。
功利主義に内在する問題として、たとえば次の点を指摘できよう。
(1)最大多数の至福が目的である以上、功利主義は目的論の一形態として目的論一般のもつ問題に直面する。義務論のような反目的論の立場は、たとえば約束の履行などの根拠が、単に社会全体の至福に及ぼす結果だけでなく、正義、社会的公正などの、各成員に対する平等の配慮のような別の原理に基づくと主張する。
(2)かりに功利的目的の達成が義務の一つだとしても、倫理的に目的は善であるべきだから、功利の原則の根底には善行の義務の原則が予想されよう。しかも、ベンサム、ミル父子は、善を幸福と、幸福を快楽と同一視したが、その必然性はなく、理論、現実の両面で多様な善の内容が考えられる。
(3)量的、質的快楽主義の対照から明らかなように、目的評価の基準の不明確さは、快楽主義的功利主義の基礎を不安定にし、また量的測定の基準だけでは、功利主義を経済的価値のような道徳外の価値に従属させるおそれがある。
[杖下隆英]
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19世紀のイギリスにおいて深められた倫理・社会思想。苦痛を避けて快楽を求める人間の傾向をすべての価値の基準と考え,「最大多数の最大幸福」を標語にして,ベンサム,ミル(ジョン・ステュアート)らの論者が,個人の幸福と社会全体の福利を調和させようとした。折から発展しつつあった代議制民主主義と経済的自由主義の主張と結びついて,大きな影響力を持った。
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…ここには浅薄ではあるが,大多数の人間を支配している快楽原則を見抜いた冷徹な世知がある。功利主義の提唱者ベンサムやJ.S.ミルは〈最大多数の最大幸福the greatest happiness of the greatest number〉を標語として掲げ,幸福とは人間の求める善であり,それは快楽を求め,苦痛を避ける合理的行動によって達成しうると考える。個人の合理的利己的行動こそ政治の干渉さえ受けなければ,かえって社会の自然の調和を生み,最大善・最大幸福に寄与しうるという。…
…両者はそれぞれ,近代における政治学と法律学を基礎づけるものとなった。 経験主義哲学が倫理学説になったものが,人間行為の善悪の判断基準を幸福の実現に求める功利主義である。功利主義の倫理学説は,イギリスにおいてハチソン,スミス,ベンサム,ミル父子の流れによって担われた道徳哲学moral philosophyをつくり出し,これを母体としてスミスからJ.S.ミルにいたる古典派経済学が生み出された。…
…しかし社会心理学の成立に直接にかかわりをもつのは,近代以降の諸思想である。イギリスではJ.ベンサムやH.スペンサーらの功利主義説が,快楽の追求と苦痛の回避をもって人間のいっさいの動機の源とする見方を打ち出し,フランスでは19世紀末G.ル・ボンやJ.G.タルドが暗示や模倣をもって社会現象を説明する見地を展開する。他方E.デュルケームは,社会学的立場から,個人意識とは区別された平面で集合表象を重視し,それをもって宗教,道徳などの研究に進んでいる。…
※「功利主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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