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ナッサウ Nassau

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ナッサウ
Nassau

西部ドイツの歴史的地方名。現在のドイツ,ヘッセン州の西半分とラインラントファルツ州の一部を含む。中世初期の時代は一つの主権国家であった。 12世紀頃からナッサウ伯が存在し,13世紀末期には短期間ではあったが神聖ローマ皇帝アドルフ・フォン・ナッサウ (在位 1292~98) も出している。しかしその後は所領の分割が続き最有力諸侯の列には入りえなかった。ナポレオン時代にはライン同盟の一員となり,多少の領土を獲得して地位も上昇した (→ナッサウ公国 ) 。その後プロシアの台頭とともに,オーストリア側に加担したナッサウの一部は,1866年プロシア王国に併合された。

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百科事典マイペディアの解説

ナッサウ

中世以来のドイツの伯爵領,1806年以後公爵領。ライン川とその支流ラーン川にはさまれた肥沃な農業・森林地帯で,ライン・ブドウ酒の産で有名。主都ウィースバーデン

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デジタル大辞泉プラスの解説

ナッサウ

《Nassau》ドイツ海軍の戦艦。ナッサウ級のネームシップ。1908年進水、1909年就役の弩級戦艦。1916年のユトランド沖海戦に参加。第一次世界大戦後、賠償艦として日本に割り当てられたが編入はされず、1921年に解体。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ナッサウ
なっさう
Nassau

ドイツ中西部の地方名。旧侯領。中心都市ウィースバーデン。1100年ごろラウレンブルク伯がナッサウ城を築造したことからその名がおこり、1160年以後同家はナッサウ伯とよばれるようになった。1255年同家はワルラム家系とオットー家系とに分かれ、主流のワルラム家系はドイツ国王アドルフ(在位1292~98)を出したが、その後、一族の間で領土の分割・統合が繰り返されたのち、1802~06年に再統合され、1806年侯位を認められた。1866年プロイセンに合併されてヘッセン・ナッサウ州の一部となり、第二次世界大戦後はヘッセン州に属している。オットー家系はのちオラニエ・ナッサウ家となり、1815年ネーデルラント王、ルクセンブルク大公となった。[中村賢二郎]

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世界大百科事典内のナッサウの言及

【ウィースバーデン】より

…829年フランク族の王領管理所Wisibadaとして記録にあらわれ,13世紀には帝国都市となる。1281年ナッサウ伯の手に渡り,その後ナッサウ・ウージンゲンNassau‐Usingen公国,ナッサウ大公国の主都となり,宮殿(現在の州議会場),市庁舎,市場教会を中心とする今日の景観がつくられた。1860年プロイセン王国に併合。…

※「ナッサウ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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