ナポレオン大学体制(読み)ナポレオンだいがくたいせい

大学事典 「ナポレオン大学体制」の解説

ナポレオン大学体制[仏]
ナポレオンだいがくたいせい

フランス革命期の大学と高等教育

中世以来の伝統を有するフランスの大学は,フランス革命期以降,激動のなかに置かれることになる。革命期において進められた同業組合とその特権廃止という文脈の下,第一共和政下の国民公会は,1793年9月15日の法によって大学の廃止(フランス)を宣した。今日でも代表的なグランド・ゼコールである高等師範学校(フランス)(エコール・ノルマル・シュペリウール)および理工科学校(フランス)(当初の校名は新公共事業中央学校)が1794年には設立されたが,これらは職業教育を公然と打ち出し,教員が世俗化され,国家が運営や教員採用を管理下に置くという,大学に対置される公的機関としての高等教育(フランス)のもう一つのあり方を体現している。革命期およびその後のフランスの高等教育は,大学ではなく,グランド・ゼコールに代表される職業教育がその中心を占めるという方向に大きく舵を切ることになった。

ナポレオンによる帝国大学体制とその特徴]

1799年のブリュメールクーデタ統領政府を経て,1804年に皇帝となったナポレオンは,民法典の編纂,道路網や運河や港湾などの整備,国民軍の創設,フランス銀行の設立等,フランス社会の近代化を進めたが,彼は教育の面においても近代的な制度を導入した。それが1806年5月10日の法律によって定められた「帝国大学(フランス)」の体制である。

 この法律の第1条では「帝国大学の名の下に,帝国全土の公教育に専任する団体が編成される」と述べられ,また同法に関わる1808年3月17日の政令では「帝国全土における公教育は専ら大学に託される。いかなる学校も教育機関も,帝国大学の管轄外に編成されることはできない」,「帝国大学は,控訴院が設置されているのと同じ大学区académieから構成される」,「各大学区に属する学校は以下の種類の下に置かれる。①単科大学(フランス)faculté: 深化された科学および学位の授与のためのもの,②リセ(フランス):古代語歴史学,修辞学,論理学および数学,物理学の基礎のためのもの,③コレージュ(フランス):市町村の中等学校。古代語の基礎および歴史学と科学の初歩のためのもの,④私立学校(フランス):個人の教師によって運営され,コレージュと類似の教育が行われる,⑤寄宿学校(フランス):個人の教師に帰属する学校で,私立学校よりも易しい勉学が行われる,⑥小学校(フランス):読み書き,および計算の基礎知識を学ぶ」と規定されているように,この「帝国大学」は各種の学校をその監督下に置く行政機関としてとらえられる。各大学区には,中央政府によって任命された大学区長recteurが派遣された。

 行政機関としてのこの「帝国大学」に対して,学問の場としての「大学」に相当するものは,17に分けられた各大学区に設置された①のファキュルテ(フランス)である。しかしナポレオンの「帝国大学」の体制においてこのファキュルテは,かつて大学の学部を意味していた語義は失われ,独立の学校=高等教育機関を意味するものとなり,それぞれが別個に独立して「帝国大学」の管轄下に置かれた。しかも再編された神,法,医,文,理の5種類のファキュルテのうち,前三者は実質的には職業と結びついた一種の専門学校としてとらえられる。職業教育(フランス)の場としての「法学校」や「医学校」がファキュルテの名で呼ばれたというわけである。一方,後二者の文,理のファキュルテに対しては,それらが何ら特定の職業を準備するものでもないという理由から,ナポレオンは重要な役割を与えなかった。これらの主たる任務は,バカロレア,学士号,博士号の学位授与のための試験機関という点にあった。このようにナポレオンは,職業教育重視という革命期に示された高等教育のあり方を踏襲しながら,大学を新たに作り直していった。

[歴史的位置づけ]

土木学校,鉱山学校等,いくつかのグランド・ゼコールは革命以前にすでに設立されており,また上記のように高等師範学校,理工科学校等,革命期に創設されたものもあるが,ナポレオンの「帝国大学」の体制は,大学とグランド・ゼコールの並立というフランスに独特な高等教育のあり方をあらためて強化している。独立的なファキュルテを糾合して総合的な大学を設立しようという動きは,1896年の総合大学設置法に至る第三共和政下の高等教育改革や,さらには20世紀,21世紀を通じてフランスの大学改革の基本的な軸となるが,こうした19世紀以降の近代的な大学のあり方を規定する出発点となったのがナポレオンの大学体制である。また「帝国大学」の制度の背景には,教会による教育を中央集権的な国家の手中に移すという,国家による教育の独占という含意も認めることができるが,これは,今日においてもフランスの教育の大原則となっている「義務的,無償,非宗教的」という枠組みを作った,1881年,82年のフェリー法に代表される,フランスにおける教育をめぐる基本的な課題と通じるものである。加えて,大学区の制度は現在も維持されているなど,ナポレオンの「帝国大学」の体制は,今日に至るフランスの教育のあり方を大きく枠づけるものとなっている。
著者: 白鳥義彦

参考文献: クリストフ・シャルル,ジャック・ヴェルジェ著,岡山茂,谷口清彦訳『大学の歴史』白水社,2009.

参考文献: 田原音和『歴史のなかの社会学―デュルケームとデュルケミアン』木鐸社,1983.

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報