アメリカン・ニュー・シネマともよばれる。1960年代後半に生まれたアメリカ映画の新しい潮流で、アーサー・ペン監督の『俺(おれ)たちに明日はない』(1967)がその先駆けとされる。続いてジョン・シュレジンジャー監督の『真夜中のカーボーイ』(1969)、デニス・ホッパーDenis Hopper(1936―2010)監督の『イージー・ライダー』(1969)などが生まれるに及んで、アメリカ映画の新しいジャンルとして認知される。最大の特徴は、反体制的なあるいは体制から脱落した人物が主人公になっていることで、そこから現実批判が提起される。『俺たちに明日はない』は、1920年代末の大恐慌時代に実在した若い男女の犯罪行を描いたもので、体制の枠からはみ出した若者像を鮮烈にとらえていた。『真夜中のカーボーイ』が描くのは、ニューヨークの廃屋に住む2人の若者のみじめな日常である。そして『イージー・ライダー』は、ヒッピーのような生き方をしている若者2人が、マリファナを密売した金を持って、オートバイでアメリカ西部から南部ニューオーリンズに向かう。主人公が2人で、それも男2人であることが多いのも、ニュー・シネマの特徴で、男女の愛よりも男同士の友情に重点が置かれる物語が多かった。ニュー・シネマは、定型の枠に閉じ込められて生命力を失ったハリウッド映画に対する批判として生まれたとされ、その新鮮な表現が社会に衝撃を与えた。しかし、現実批判のリアリズム描写に傾きすぎて、アメリカ映画の基本的性格であった娯楽性に欠け、映画に夢と憩いを求める観客からしだいに見放されるようになる。時代的に見ると、ヒッピー文化、ベトナム反戦運動といった風潮の反映として生まれたのがニュー・シネマであり、大きな反響を呼んだ。アメリカ社会が保守化するとともに自然消滅したが、世界の映画に与えた刺激は大きかった。
[品田雄吉]
『田山力哉著『アメリカン・ニューシネマ名作全史』(1981・社会思想社)』▽『ロバート・スクラー著、鈴木主税訳『アメリカ映画の文化史』(1995・講談社)』▽『井上一馬著『アメリカ映画の大教科書』(1998・新潮社)』▽『『American film 1967―72 「アメリカン・ニューシネマ」の神話』(1998・ネコパブリッシング)』
この表現が初めて使われたのは,アーサー・ペン監督《俺たちに明日はない》(1967)を特集したアメリカの週刊誌《タイム》(1967年12月8日号)の,〈ニュー・シネマ,暴力,セックス,芸術! 自由にめざめたハリウッドの衝撃!〉というセンセーショナルな見出しのなかであった。不況時代のアメリカ中西部の銀行を荒らしまわった男と女の2人組のギャングの短く激烈な人生を描く,この〈アナーキーな暴力〉にみちた青春映画に次いで,やはり〈無法の青春〉を描いたデニス・ホッパー監督《イージー・ライダー》(1969)が,若い観客層を熱狂させて大ヒット。ともに低予算の映画で,ハリウッドの伝統である撮影所システムに縛られずに,ハリウッド育ちではない監督(アーサー・ペンはニューヨークの舞台の演出家出身であり,デニス・ホッパーはリー・ストラスバーグの〈アクターズ・スチュディオ〉の俳優出身である)によって〈自由に〉つくられたことから,ハリウッド=アメリカ映画の概念を打ち破った新しいアメリカ映画として〈ニュー・シネマ〉あるいは〈アメリカン・ニュー・シネマ〉の呼称で総括されることになった。
おりから大手映画会社の撮影所が次々に外部の金融資本によって買収され,〈ハリウッドの崩壊〉が叫ばれていた矢先でもあったので,〈ニュー・シネマ〉こそアメリカ映画の救世主であり未来を背負う力であるとすらいわれたが,《俺たちに明日はない》の二番せんじのギャング映画や《イージー・ライダー》を模倣したオートバイ映画などがはんらんした結果,そのほとんどすべてが興行的に失敗した。1972年にはフランシス・フォード・コッポラ監督,マーロン・ブランド主演のマフィア映画《ゴッドファーザー》が,そして73年には豪華客船の沈没を描いたロナルド・ニーム監督,ジーン・ハックマン主演のパニック映画《ポセイドン・アドベンチャー》が大ヒットして,伝統的なハリウッド方式(大スター,ベストセラー小説の映画化,金をかけた大作)の健在ぶりを証明。〈ニュー・シネマ〉は結局かけ声だけで一時の現象に終わった。
→アメリカ映画
執筆者:広岡 勉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
(宮本治雄 映画ライター / 2007年)
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…第3作の《突然炎のごとく》で国際的な名監督という評価が定まり,以後はほぼ1年に1作のペースで作品をつくりつづけ,批評家時代に主張した〈作家の映画〉をみずから実践し〈フランス映画の中でももっとも人間的な共感を感じさせる監督の一人〉となった。 60年代以降のアメリカ映画の若い作家たちに与えた影響は大きく,とくにトリュフォー映画の男たちに共通する〈弱さ〉〈傷つきやすさ〉は,《俺たちに明日はない》(1967)以降のアメリカの〈ニュー・シネマ〉のアンチ・ヒーロー像に移植されたという見方もある(ロバート・ベントンとデービッド・ニューマンによる《俺たちに明日はない》の最初のシナリオは,トリュフォーのために書かれたといわれる)。またスティーブン・スピルバーグは,《野性の少年》でみずから主演して狼少年に人間的なコミュニケーションを教えるイタール教授を演じたトリュフォーの姿に感動し,自作《未知との遭遇》(1977)で,宇宙人とのコミュニケーションをはかるUFO研究学者の役を演じてもらうために,トリュフォーをハリウッドに招いた。…
※「ニューシネマ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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