ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
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フランス北部の歴史的地方名、旧州名。イギリス海峡に面する低平な地域で、北部はコタンタン半島が海峡に向けて突出する。現在はウール、セーヌ・マリティーム、カルバドス、マンシュ、オルヌの5県に分かれる。地域行政上、前2県でオート(上)・ノルマンディーを構成し、面積1万2317平方キロメートル、人口178万0192(1999)、中心都市はルーアン。後3県でバス(下)・ノルマンディーを構成し、面積1万7589平方キロメートル、人口142万2193(1999)、中心都市はカーン。
この地方は、地質的には古生代石炭紀(3億5000万年前)のバリスカン褶曲(しゅうきょく)(狭義にはアルモリカン褶曲)による隆起でできた古い地塊で、マッシフ・サントラル(中央群山)やイギリス西部の地質と同年代のものである。気候は西岸海洋性のため湿潤である。東部の丘陵でも標高350メートル以下で平坦(へいたん)地が多い。牧草の成長に適しているため酪農と乳業が盛んである。ルーアン、ル・アーブル、カーンを結ぶ三角地帯に当地方人口の4分の1以上が集まり、人口密度が高く、第二次、第三次産業の集積が進んでいる。コタンタン半島西岸の都市グランビルを中心に海水浴場が開け、別荘も多く観光地化も進展している。
[高橋伸夫]
紀元前1世紀、この地方に居住したケルト人、ベルガエ人の諸部族はカエサルの征服を受け、ローマ帝政期にはリヨン第2州に編入された。3世紀末、ルーアンなどの都市にはキリスト教が布教された。フランク王国支配下の7世紀にはサン・ワンドリーユ、ジュミエージュなどの大修道院がつくられ、農村部のキリスト教化も進んだ。カロリング朝期に組織されたルーアン大司教管区は、ほぼ後のノルマンディーに合致する。
9世紀後半にはノルマン人の侵入が激化し、セーヌ川の河口には彼らの冬営地が設けられた。ノルマン人は911年から933年にかけて西フランク王にルーアン大司教管区の領域のほとんどを割譲させ、キリスト教を受容し、また封建制によって強固に組織された公領を築いた。対外進出にも意欲的で、ノルマンディー公ギヨーム2世は1066年にイングランドを征服してその王となり(イギリス王ウィリアム1世)、また彼らの一部は南イタリアとシチリア島に進出し、12世紀に両シチリア王国を建設した。12世紀後半にはアンジュー伯が西部フランスの大部分とノルマンディー公領、イングランド王国を手中に収めて大勢力となったが、フランス王フィリップ2世は1204年にノルマンディーを征服し、王領に合併した。しかし公領は独自の慣習法、最高法廷(近世のルーアン高等法院の前身)、諸特権を維持した。百年戦争中の1419年から1450年まではイギリスの支配を受ける。
16世紀の宗教戦争はこの地方では激化し、産業に大きな打撃を与えた。17世紀には、王権は幾度かの反乱を鎮圧しつつ、ノルマンディーへの統制を強化した。1666年には州三部会も廃され、州としてのまとまりは弱体化した。他方17、18世紀にはとりわけ東部において繊維工業が成長し、19世紀には産業革命が早期に進展した。第二次世界大戦末期の1944年6月6日、連合軍がドイツ占領下のこの地方の海岸に敵前上陸を敢行したことは有名である。
[江川 温]
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…クヌット2世はイングランド王だけでなく,やがてデンマーク王,ノルウェー王をも兼ねて,北海を内海とする一大帝国を樹立したが,それも約20年後彼の死とともに瓦解し,イングランドにはまもなくエドワード懺悔王が即位して,ウェセックス王家が復活した。しかし彼には嗣子がなかったため,1066年その死後王位をめぐる闘争が生じ,北フランスのノルマンディー公ギヨームが麾下の騎士を率いて侵入,イングランドを征服,ウィリアム1世(征服王)として即位してノルマン朝を開いた。イギリス史上これを〈ノルマン・コンクエスト〉という。…
…911年西フランクのシャルル3世単純王は,これらセーヌ・バイキングの首領ロロとの間に,彼らが現実に居住している地域を封土として与えるかわりに,シャルルを王としてその臣下となる封建的主従契約を結んだ。これ以後セーヌ川下流地方は〈ノルマン人の国〉すなわちノルマンディーと呼ばれ,ロロとその後継者はノルマンディー公となる。これに伴い,(1)のバイキング一般を指すノルマン人という用語法から分離して,ノルマンディー地方の北欧出身の騎士たちが〈ノルマン人〉の呼称を受け取り,さらにノルマンディー地方住民一般がノルマン人Normandsと呼ばれるようになっていった。…
※「ノルマンディー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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