ピカルディー(英語表記)Picardie

改訂新版 世界大百科事典 「ピカルディー」の意味・わかりやすい解説

ピカルディー
Picardie

フランス北部の旧地方名および現在の地域région名。中心都市はアミアン。現在の地域はエーヌ,オアーズ,ソンムの3県に相当し,旧地方は北西端の一部を含まず,逆に旧イル・ド・フランスとシャンパーニュの一部を含む。

ローマ時代には属州ベルギカ・セクンダの一部であったが,5世紀にメロビング朝の本拠地となり,ソアソンが主都であった。肥沃な土地であったために,中世には修道院開墾事業が進んだ。12世紀に入ると都市のコミューン化運動(コミューン都市)が始まり,フランドルの影響を受けて織物工業が導入され,先進的な商工業地帯になった。12世紀から14世紀にかけては町人階層(ブルジョアジー)が目ざましく台頭した時代で,彼らの生活を背景にピカルディー方言で書かれたファブリオーと呼ばれる町人文学がこの地方を中心に流行した。ピカルディーという名称は13世紀ごろから使用されるようになった。15世紀に国王シャルル7世はブルゴーニュ公にピカルディーを譲ったが,公が死ぬと再びフランス王室領に編入され,アミアンを主都とする地方を形成するにいたった。パリやベルギー国境に近いため,17世紀まではたびたびスペインの侵入にあい,また第1次・第2次世界大戦中には何回となく戦場と化した。

地質的にはパリ盆地の北側に属し,平地と丘陵地からなるため,標高300mを超えることはない。オアーズ川ソンム川などの河川によって浸食されているため起伏に富む。イギリス海峡に面した沿岸部では海洋性気候が卓越し,内陸部へ向かうにしたがって大陸性気候へと移行する。この地方の中でも気温や降水量に地域的な差異がある。内陸部に入るにしたがって,気温の年較差は大きくなる一方,沿岸部では最大の降水量を冬に記録し,内陸部では夏にそれがある。地形や気候からみると,穏やかな自然環境に特色がある。

人口密度はフランスの平均値に近く,三つの県の値はそれぞれ近似している。19世紀前半から人口増加が続いたが,同世紀の後半に入ってから,人口数150万前後で低迷し,第1次世界大戦まではわずかに人口減少がみられた。パリ大都市圏とフランス北部地方の中間に位置することから,農村部においても人口が稠密であるが,農村人口の都市部への流出は免れない。第2次世界大戦後,自然増加に加えて工業化に伴う人口流入によって社会増加がみられたため,人口は急速に増加した。人口急増地帯は主としてパリに最も近いオアーズ県の南部,パリ大都市圏の出入口に相当するクレイユ,シャンティイサンリスなどオアーズ川に沿った地帯,そしてアミアンを中心とした地帯などである。人口の増加は,主としてそれぞれの地方に立地する第2次・第3次産業活動の発展に関連している。当地方には,人口10万を超えるアミアンを除いて,大都市はないが,中小規模の都市が多数存在する。その中にはパリに近接し,労働力が豊富であるためにパリからの工業分散を受け入れて発展しつつあるものもある。輸送用機械,農業機械などをはじめ,電気・機械工業を中心とした工業が発達している。これらの新しい工業は,化学繊維工業の発達によって綿織物工業や既製服製造業が衰退したために,それらの一部が代替したものである。化学工業は,とくにオアーズ川流域のコンピエーニュからクレイユまでに立地している。その他,ガラス工業,ゴム工業の分布は3県にまたがり,製糖,缶詰,乳製品などの農産物と関連した食品工業も発達している。地表面のほとんどを泥土質の土壌がおおい,〈農業に理想的な土地〉とされてきた。したがって,古くから農業生産は活発である。農家の平均耕地所有面積は広く,機械化も進んでいる。テンサイ,小麦,大麦,ジャガイモなど全国土の中でピカルディー地方の生産が高い割合を占める農産物が多い。牛・豚などの牧畜業はあまり発達していないが,当地方はパリ市場に牛乳・肉類などを供給する重要な役割を果たしている。パリ地方と北部地方の中間に位置するため,道路・鉄道・水上交通網の要所を占めている。とくに,本地方の東側には北部高速道路,北部運河,オアーズ川が走り,そしてアミアンは鉄道網の要衝となっているため,各種交通機関によって人間・物資の流動が激しい。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ピカルディー」の意味・わかりやすい解説

ピカルディー
ぴかるでぃー
Picardie

フランス北部の歴史的地方名、旧州名。パリ北郊の地域で、中心都市はアミアン。現在も行政地域名として用いられ、エーヌ、オアーズ、ソンム3県の範囲にあたる。これは旧州名の範囲とは多少異なるが、その面積は1万9399平方キロメートル、人口185万7481(1999)。地質的にはパリ盆地の北部を含み、平野と標高の低い台地からなる。中小都市しか存在しないが、豊富な労働力の存在とパリからの工業の分散によって工業化が進展し、人口の増加が著しい。農業も大規模経営が卓越し、機械化が進み肥料の投下も多く、テンサイ、小麦、大麦、ジャガイモなどの産出によって国内の主要農業地域を形成している。

[高橋伸夫]

歴史

先史時代から人類の居住が認められ、サン・タシュールの初期旧石器の出土はとくに名高い。ケルト人が紀元前1000年紀に移住したが、前57年以来、ローマの属州ガリア・ベルギカの一部に編入された。紀元後3世紀以来フランク人が徐々に移住してフランク王国の主要部を形成したが、キリスト教の伝道も早く、7世紀にはいくつかの修道院が創設され、その政治的・文化的影響力を強めた。11世紀以降、三圃(さんぽ)制度による農業が普及し、開墾も進み、毛織物工業がソンム川流域に成長した。繁栄した都市は12世紀にコミューヌ(自治都市)運動を展開、自立性を強めたので、パリの王権はこの地方に注目し、これらのコミューヌと結合した。文化的にもアミアン大聖堂(13世紀創建)など優れたゴシック建築を残した。百年戦争期には、イギリス、フランス両王権とブルゴーニュ公の争奪の的となり、戦争後も国王ルイ11世とブルゴーニュ公シャルル(豪胆公)との争いが1477年まで続いた。1482年フランス王国に併合。16世紀はアミアンの綾(あや)織物工業をはじめとして経済的活況を取り戻したが、宗教戦争の過程では、カトリック勢力の拠点地方となった。

 17世紀に入ると、三十年戦争の最前線となり戦禍は甚大であったが、ルイ14世時代にはアブビルのバン・ロベー毛織物工場など特権的企業が成長している。18、19世紀にかけて織物工業を中心とする産業革命が進展する一方、農村人口の減少がみられた。20世紀の両大戦では戦場となり、アミアンをはじめ諸都市の大半が破壊された。

[千葉治男]


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百科事典マイペディア 「ピカルディー」の意味・わかりやすい解説

ピカルディー

フランス北部,パリ盆地の北,ソンム川流域を占める地方。ソンム,エーヌ,オアーズ3県を含み,中心地はアミアン。豊かな農業地帯の一方,ガラス・医薬品・鉄鉱・ゴム・化学・繊維・食品などの工業が盛んで,一大工業地帯をなす。1477年フランス領。第1次大戦では主戦場となった。

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