ハーシム家(読み)ハーシムけ(その他表記)Hāshim

改訂新版 世界大百科事典 「ハーシム家」の意味・わかりやすい解説

ハーシム家 (ハーシムけ)
Hāshim

イスラムの預言者ムハンマドが属していた家系。ムハンマドの曾祖父ハーシムを共通の祖先とする集団で,メッカの住民であったクライシュ族の一部であった。ムハンマドの青年時代には,ハーシム家はすでに名門ではあったが,政治的に際だって有力な集団ではなかったようである。ムハンマドが預言者として行動しはじめると,彼を迫害する勢力がハーシム家全体に対する村八分的な制裁を加えようとした。

 ムハンマド没後,ハーシム家はムハンマドの家系(シャリーフ)としての独特の地位を占めた。第4代正統カリフ,アリーはハーシム家を代表する立場にいたが,彼のカリフ位就任には反対も強かった。8世紀中葉,ウマイヤ朝に反対する人々が,〈ハーシム家に権力を〉をスローガンに革命運動を起こし,ムハンマドの叔父アッバースの子孫にあたるサッファーフをカリフ位につけアッバース朝を樹立した(アッバース家運動,アッバース朝革命とよばれる)。近代になって第1次世界大戦中にアラブ反乱を指導したメッカの知事フサインはハーシム家出身であることを強調し,彼の子孫が国王となっているヨルダンは現在もヨルダン・ハーシム王国と称している。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハーシム家」の意味・わかりやすい解説

ハーシム家
ハーシムけ
Hāshim

ムハンマドの曾祖父ハーシムの子孫の総称。ハーシムはメッカの隊商貿易の開拓者,その子アブドゥル・ムッタリブ (ムハンマドの祖父) はアビシニア (エチオピア) 軍によるメッカ攻撃の際の防戦立役者で,ハーシム家はメッカのクライシ族のなかでも最も名誉ある家系の一つであった。ムハンマドがイスラムを説きはじめたのち,クライシ族の反ムハンマド運動のため,一時孤立したが,ムハンマドの成功によって一族は一層の名誉と富を得た。ムハンマド没後,彼の従弟女婿であるアリーが第4代カリフに推され,ウマイヤ家と抗争して敗れはしたものの,その子孫は一般の人々から名誉ある扱いを受け,ときに反政府運動の先頭に立つこともあった。ウマイヤ朝末期に,ムハンマドの叔父アッバースの子孫が反ウマイヤ朝運動を組織してアッバース朝を創建した。このアリーとアッバースの子孫を中心として,ハーシム家に属すると主張する人々 (シャリーフ,複数形アシュラーフ) は今日でもイスラム圏に少なからずいる。また,11世紀から 1925年まで,メッカはハーシム家の一家系の支配下にあり,第1次世界大戦後この一族は,イラク,シリア,ヨルダンの王権を獲得した。しかし,今日ではヨルダンだけに王制が続いているにすぎない。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ハーシム家」の解説

ハーシム家(ハーシムけ)
al-Hāshimīyūn

預言者ムハンマドの曾祖父ハーシムの子孫。その成員範囲は時代によって異なる。イスラーム社会では,ムハンマドの親族として強い崇敬の念をもって扱われた。ときに,政治騒乱などの社会運動における結集核の役割を果たした。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ハーシム家」の解説

ハーシム家
ハーシムけ
Hāshim

クライシュ族を構成する家系の1つ。ムハンマドの生家
ムハンマドの曾祖父であるハーシムを祖先とし,クライシュ族の中でも名門とされていた。ムハンマドの死後はシャリーフ(高貴な血筋をひくもの)として重要な位置を占めた。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のハーシム家の言及

【クライシュ族】より

…5代前の祖クサイイがカーバの管理権を奪い,近親者をメッカに定着させてから部族としてのまとまりをもつようになる。3代前の祖ハーシムHāshim(生没年不詳)の時代に遠隔地隊商貿易の組織化に成功し,祖父の時代に南アラビア軍の攻撃からメッカの聖域を守り,以後急速に発展する。クサイイ以後はクライシュ族には全体の首長はなく,十数の氏族がさまざまな権利・義務を分担していた。…

【家】より

… イスラム勃興期のアラブ社会に関する歴史史料では,家族から部族までの血縁集団は,すべて特定の祖先の名を採って〈某の子孫(バヌー)〉と呼ばれている。預言者ムハンマドの場合,彼は3代前の祖の名を採ったバヌー・ハーシム(ハーシム家)の一員であり,そのバヌー・ハーシムは,ハーシムの8代前の祖,ムハンマドから数えて11代前の祖であるクライシュの名を採ったバヌー・クライシュ(クライシュ族)の一部である。このバヌー何某という集団の構成員は,原理的には,その某の男系の子孫と彼らの妻・娘だけである。…

【クライシュ族】より

…イスラム勃興期,メッカに住んでいたアラブ部族。北アラブ系のキナーナ部族の支族で,預言者ムハンマドを生み,彼の11代前の祖先クライシュを共通の祖先としていた人々。5代前の祖クサイイがカーバの管理権を奪い,近親者をメッカに定着させてから部族としてのまとまりをもつようになる。3代前の祖ハーシムHāshim(生没年不詳)の時代に遠隔地隊商貿易の組織化に成功し,祖父の時代に南アラビア軍の攻撃からメッカの聖域を守り,以後急速に発展する。…

【ヒジャーズ】より

…しかし,ヒジャーズの政治的権力は永続きせず,ウマイヤ朝,アッバース朝,ファーティマ朝,オスマン帝国などカリフを自認する諸王朝は争ってこの地の支配権を求めた。第1次大戦後の1918年,クライシュ族の子孫でありメッカのシャリーフ職にあったハーシム家がイギリスの支援のもとにヒジャーズ王国を成立させた。 しかしナジュド地方で勢力を増していたアブド・アルアジーズ・ブン・サウードはやがてハーシム家と対決,24年にこれを打倒し,ヒジャーズを支配下におさめた。…

【ムハンマド】より

…カーバはアブラハムが建設したと信じられており,多くの神々の像が祀られていたが,神殿の〈主〉はアッラーであるとされていた。ムハンマドは当時のメッカの住民,クライシュ族のハーシム家に生まれた(図)。クライシュ族はムハンマドの5代前にメッカに定着し,3代前の時代から隊商を組織する国際商人に成長していた。…

【ヨルダン】より


[政治]
 現在のヨルダン・ハーシム王国は第1次世界大戦によって誕生の契機を与えられた国の一つである(それ以前の歴史については〈シリア〉の項目を参照されたい)。1916年6月イスラムの聖都メッカのシャリーフであったハーシム家フサインはオスマン帝国に対抗して〈アラブ反乱〉を起こし,アカバを占領,トランス・ヨルダン,シリアへ向かう足がかりを確保した。18年10月フサインの息子ファイサル1世に率いられたアラブ軍はイギリス軍とともにダマスクスに入城し,シリア(大シリア)は400年にわたるオスマン帝国の支配から解放された。…

※「ハーシム家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android