イギリスの医者。イギリス南部の港町フォークストンに豊かな商人の子として生まれた。ケンブリッジ大学のゴンビル・キーズ・カレッジを1597年に卒業したのち,パドバ大学に留学して医学を修めた。1602年に医学と哲学の学位をとり,帰国後ケンブリッジ大学でも学位を受けた。ロンドンで開業しながら,医師カレッジCollege of Physiciansの講師を兼ね,09年にはセント・バーソロミュー病院の医員に採用された。15年に王立内科医カレッジのラムリー講座の講師Lamleian lecturer(教授相当)に任ぜられ,16年4月から外科と解剖学の講義や実習をはじめた。彼は多数の冷血動物や温血動物の生体解剖によって,心臓の動きや弁膜の機能の解剖生理学的研究を行い,血液の循環,大循環,小循環を明らかにした。28年にハーベーは不朽の名著《動物における心臓の運動に関する解剖学的研究Exercitatio anatomica de motu cordis et sanguinis in animalibus》,略して《心臓の運動De motu cordis》(邦訳《血液循環の原理》)四つ折判72ページの小冊子を,フランクフルト・アム・マインで出版した。
ハーベーの学説は実験と計数をもとにした,申し分ないものだったが,それでも賛否両論がまき起こった。とくにパリ大学学長で解剖学者のJ.リオランは反対の先鋒に立った。しかし,R.デカルト,T.ブラウン,グリソンFrancis Glisson,F.シルビウスらの賛成を得て,ハーベーの血液循環説は,ガレノスの説を完全に覆し,近代生理学の基盤となった。彼は1618年にジェームズ1世の侍医,29年にチャールズ1世の侍医になった。王の信頼を受けて,39年には上位常勤侍医としてホワイトホールに住み,革命で王が処刑されるまでその職にあった。晩年は発生学の研究に没頭し,51年に《動物の発生に関する研究Exercitationes de generatione Animalium》を出版し,〈すべての動物の発生は卵からomne animal ex ovo〉という考えを主張した。晩年は痛風に悩み,57年6月3日脳出血のためロンドンで79年の生涯を閉じた。
執筆者:古川 明
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