バーゼル(英語表記)Basel

翻訳|Basel

精選版 日本国語大辞典 「バーゼル」の意味・読み・例文・類語

バーゼル

(Basel) スイス北部の都市。フランスドイツとの国境近く、ライン川にまたがり、交易都市として発達。一四世紀末に自治都市となり、一五〇一年スイス連邦に加盟した。

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デジタル大辞泉 「バーゼル」の意味・読み・例文・類語

バーゼル(Basel)

スイス北西部、ライン川上流沿いにある河港都市。ドイツ・フランスと国境を接する。化学・繊維などの工業が発達。

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改訂新版 世界大百科事典 「バーゼル」の意味・わかりやすい解説

バーゼル
Basel

スイス連邦を構成するカントン(州)およびその州都名。州人口26万7166(2006),都市の人口は18万4822(2006)。

 ライン川上流に発展した都市バーゼルは,374年以降ローマ帝国軍事基地としてまず言及されてくる。7世紀初めには司教居住地になり,司教支配下の都市として発展していった。14世紀後半に入って初めて都市は司教支配権から解放され,貨幣鋳造権,関税徴収権,裁判権を獲得した。次いで,ハプスブルク家が握っていた帝国代官職をも購入して,1386年以降は帝国都市となった。92年ライン川右岸の小バーゼルを獲得し,1400年以降には周辺農村地域の支配権を購入して,しだいに都市国家の形態をとっていった。ハプスブルク家の脅威に対抗するために,40年ベルンと,41年ゾロトゥルンと同盟を結び,スイス盟約者団と助け合う関係に入った。この間1431-39年にかけて公会議が開催され,バーゼルの都市としての地位は高まった。スイスとハプスブルク家とが戦った99年のシュワーベン戦争では中立の立場をとったが,スイスの勝利後1501年にスイス盟約者団に正式に加入した。文化的には1460年バーゼル大学が創設され,16世紀にはエラスムスを中心とする人文主義者が活躍し,人文主義運動の一大中心地となった。

 1528-29年にエコランパディウスに指導されて,宗教改革を導入し,85年に司教のすべての権利要求から自由となった。宗教改革以後1798年までの都市政治体制は職業別政治・経済団体であるツンフトを基盤とし,市参事会員は15のツンフトから同数ずつ選出されていた。ただし,市長を含む都市首脳の4役は大商人を中心とする都市貴族にほぼ独占され,寡頭制的傾向があった。一方,都市当局に支配されていた農村部は強い不満を抱き,しばしば蜂起したが,政治的平等を獲得できたのは1798年のヘルベティア共和国体制のときになってからである。しかし,それも1803年までで,その後再び都市貴族支配の体制に戻った。フランスの七月革命の影響を受けると,農村部バーゼルは自由化・民主化を要求して流血事件に発展した。この結果バーゼルは都市部と農村部(州都リースタール)に二分されて誓約同盟内で半カントンをそれぞれ形成することになり,現在に至っている。

 現在のバーゼルはドイツ・フランス両国に接する国境の町として,ヨーロッパ国際交通の要の都市である。また,ライン水運終点の港湾都市として,とくに鉱石,石油製品,穀物の輸入玄関口の役割を果たし,国際商業都市となっている。工業都市としてはチューリヒに次ぐスイス第2の地位を占め,化学,薬品,精密器械工業が発展している。アルプス観光の基地としては重要ではないが,都市内にヨーロッパでも屈指のバーゼル美術館があり,ホルバイン一家の作品が多数収集されていることで著名である。そのほかに,ゴシック式の大聖堂,16世紀の姿をとどめる市庁舎などの観光建築物がある。独特な仮面仮装と音楽で有名なバーゼル謝肉祭Basler Fastnachtは14世紀にまでさかのぼれる伝統的民俗行事である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「バーゼル」の意味・わかりやすい解説

バーゼル
ばーぜる
Basel

スイス北部、バーゼル・シュタット(Stadt)準州の州都。フランス語名バールBâle。人口16万4850(2001)で、チューリヒ、ジュネーブに次ぐスイス第三の都市。ドイツおよびフランスとの国境をなすライン川沿いに発達した町で、河川・鉄道交通の要地である。16世紀の宗教改革時に、フランス、イタリア、オランダから逃れてきた新教派の学者、企業家、商人らを市民が受け入れ、これが市の文化・経済の発展に貢献した。現在は化学工業(とくに薬品・染料)の一大中心であり、ほかに電気、機械、印刷などの工業が行われる。工業地区はライン川右岸の小バーゼルに立地する。ここにある河港を通じて多量の物資輸出入が行われる。左岸の大バーゼルは商業・文化の中心で、大聖堂、美術館、歴史博物館などみるべきものが多い。国際決済銀行(BIS)本部所在地。

[前島郁雄]

歴史

ローマの野営地バジレアBasileaとして374年に初めて記録に現れる。7世紀初頭、司教アウグストがこの地に司教座を移したことにより、宗教中心都市として発達した。9世紀には東フランク王国、10世紀にはブルグント王国、そしてのち神聖ローマ帝国に帰属した。14世紀にはペストや地震、火災などの災害により大打撃を被ったが、市の住民は徐々に司教支配権からの離脱を試み、またハプスブルク家から帝国フォークトVogt(知事)職を獲得した。そしてライン川右岸の小バーゼルほか近隣地域を獲得することによって都市国家へと成長した。交易の発達、公会議開催(1431~49)、スイス最古の大学の設置(1460)と、15、16世紀には文化・経済の繁栄期を迎えた。1501年にはスイス誓約同盟に永久加盟し、1648年ウェストファリア条約交渉にスイスの代表として参加、神聖ローマ帝国からのスイスの分離承認を取り付けた。1528、29年、宗教改革を実施し、司教は市を退去、その後市民と都市貴族とは市政上の対立を繰り返した。1833年バーゼル・ラント(Land)が分離し、バーゼル・シュタット、バーゼル・ラントとしておのおの準州(半カントン)となった。両準州を合わせてバーゼル州と総称する。バーゼル・シュタット準州は面積37平方キロメートル、人口18万6700。バーゼル・ラント準州は面積517平方キロメートル、人口26万1400、州都リースタルLiestalの人口1万2734(統計はすべて2001年)。

[佐藤るみ子]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バーゼル」の意味・わかりやすい解説

バーゼル
Basel

フランス語ではバール Bâle。スイス北部,バーゼルシュタット准州の州都。ライン川上流,スイス,フランス,ドイツの3国が国境を接する位置にあり,チューリヒに次ぐスイス第2の都市。初めはケルト人の居住地で,374年にローマの城塞が築かれた。5世紀の初めフランク王国の司教座が設置され,中世には司教に支配される司教都市。 1431~49年にはここでバーゼル公会議が開かれた。市は水陸交通の要地,ライン川に河港をもつ商業都市として古くから栄え,1917年以降は毎年4月この地で「スイス産業博覧会」が開催されている。国際決済銀行の所在地。 1460年に創立されたスイス最古の大学,バーゼル大学をもつ文化都市であり,また染料,香料,香水,薬品などの化学工業や繊維工業が立地する工業都市でもあり,バーゼルシュタット准州をこえる大都市圏を形成している。 14~15世紀のゴシック様式の大聖堂,16世紀のゴシック様式の市庁舎などがあり,美術館,博物館が所在。人口 17万 1036 (1991推計) 。

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百科事典マイペディア 「バーゼル」の意味・わかりやすい解説

バーゼル

スイス北部,ライン河岸の港市。ベルンの北方約70kmにあり,交通,商工業,貿易の中心で化学・繊維工業が行われる。大学(1406年創立)がある。古代ローマ末期から司教座がおかれ,中世には商業都市として発展し,1431年―1439年バーゼル公会議が開かれた。1528年―1529年,エコランパディウスの導きで宗教改革。BIS(国際決済銀行),バーゼル美術館などがある。16万4500人(2011)。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「バーゼル」の解説

バーゼル
Basel

ドイツ,フランスに接する交通の要衝で,スイス第1の経済都市。中世には司教都市であり,1431~49年にかけて教会会議が開かれた。60年にスイス最古の大学が創設され,宗教改革時代には改革の一中心地。1912年国際社会主義者会議が開かれた。

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