改訂新版 世界大百科事典 「都市貴族」の意味・わかりやすい解説
都市貴族 (としきぞく)
Patriziat[ドイツ]
ヨーロッパ中世都市の上層市民ないしその階層を指す歴史用語で,〈都市門閥〉とも訳されている。出生身分としての本来の貴族ではないが,他の都市住民とは区別される独自の社会的地位を確立し,さまざまの政治的諸特権,とりわけ市参事会会員資格とその独占を主張した。ミニステリアーレ層を含む富裕な商人たちを中心とする都市の指導層であり,すでに11世紀ごろから都市領主に対抗して自治を求めはじめた有力市民たち(メリオレスmeliores,マヨレスmajoresなどと呼ばれる)にその端緒が求められる。明白な身分意識と連帯感を持ち,ときにリューベックの〈ツィルケルゲゼルシャフト〉に見られるような強い閉鎖化を示す場合もあった。多くの場合,大きな邸宅を構え,華美な服装をまとい,騎乗試合に加わるなど,しだいに下級貴族たる騎士に近い生活様式を示すようになる。13世紀末ウィーンの都市法は,門閥市民と騎士の身分的同格を明言している。中世末期にはこの傾向がさらに進展し,騎士と上層市民との通婚,多くの市民の子弟の司教,聖堂参事会員への就任,都市貴族の受封能力獲得,宮廷官職への進出も目だつようになった。都市貴族の寡頭政支配は,南ドイツなどでは,14世紀の手工業職人の政治参加を求めるいわゆるツンフト闘争によって一部制限され,また近世領邦諸国家の発達にともなって大幅に限定されていった。なおパトリツィアートとかパトリツィアーPatrizierという呼称は,むしろ近世になってからの呼称であり,中世では単にゲシュレヒターGeschlechter(門閥)ないしエルプビュルガーErbbürger(草分け市民)と呼ばれていた。近世の初頭以降,都市貴族が現実の影響力を失いかけた危機感のなかで,古代ローマのパトリキウスpatricius(貴族)を想起しつつ使いはじめた呼称Patriziatが,その後の歴史叙述のなかで中世にさかのぼって用いられるようになったものである。
執筆者:魚住 昌良
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報