日本大百科全書(ニッポニカ) 「パスパ」の意味・わかりやすい解説
パスパ
ぱすぱ
'Phags pa
(1235―1280)
チベット仏教(ラマ教)サキャ派の祖師。初めて中国、元(げん)の帝師となった。パスパ(パクパ)は「聖者」の意。本名はロトゲンツェンBlo gros rgyal mtshan。中国の資料では八思巴、発合思巴などと表記される。当時、元朝はチベットの覇権をうかがっていたが、パスパは叔父サパン・クンガーゲンツェンSa skya Paita kun dga' rgyal mtshan(1182―1251)、弟チャクナドジェPhyag na rdo rje(1239―1267)とともに元朝に赴き、1247年クテンに謁し、チベットの降伏と和平に努力した。1253年に彼はフビライ・ハン(世祖)に謁し、1258年の第3回道仏論争で道教側を論破し、1260年には国師に任じられた。1269年にはパスパ文字を制定し、おそらく翌1270年に彼は帝師に任じられ、元朝の仏教界を統(す)べるとともに、全チベット13万戸の政教権を支配した。しかし1274年には帝師を異母弟リンチェンゲンツェンに譲ってサキャ寺に帰還し、1277年にチュミク寺で大法会を行った。46歳でサキャ寺で没。彼の著作集は『サキャ全書』に収められている。また『彰所知論(しょうしょちろん)』は彼の著で、漢訳も伝えられている。彼の没後も帝師の地位は一門の者に継承され、サキャ王国を確立した、チベット史上重要な人物である。
[原田 覺 2018年7月20日]