パゾリーニ(読み)ぱぞりーに(英語表記)Pier Paolo Pasolini

デジタル大辞泉 「パゾリーニ」の意味・読み・例文・類語

パゾリーニ(Pier Paolo Pasolini)

[1922~1975]イタリア映画監督・詩人・小説家。斬新なイメージで古典の世界に現代的息吹を吹き込んだ異能派。映画「奇跡の丘」「アポロンの地獄」「ソドムの市」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「パゾリーニ」の意味・読み・例文・類語

パゾリーニ

  1. ( Pier Paolo Pasolini ピエール=パウロ━ ) イタリアの詩人、小説家、映画監督。詩集「グラムシの遺骨」、小説「生命ある若者」「激しい生」など。また、映画界からも注目され、「奇跡の丘」「王女メディア」などの作品がある。(一九二二‐七五

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「パゾリーニ」の意味・わかりやすい解説

パゾリーニ
ぱぞりーに
Pier Paolo Pasolini
(1922―1975)

イタリアの詩人、小説家、映画監督。生地のボローニャ大学卒業後、ローマに移る。詩集『グラムシの遺骨』(1957)など左翼的な詩人として、また『生命ある若者』(1955)、『激しい生』(1959)などの小説家として名をなした。具体的なイメージを積み重ねる詩的手法は映画界からも注目され、フェリーニ監督の『カビリアの夜』をはじめとする脚本を数多く担当したのち、『アッカトーネ(乞食)』(1961)で監督としてもデビューした。しだいにネオレアリズモドキュメンタリーの影響を脱し、『奇跡の丘』(1964)、『アポロンの地獄』(1967)、『王女メディア』(1969)など、古典に現代的息吹を吹き込んだ独自の世界をつくりあげた。『テオレマ』(1968)など寓話(ぐうわ)的作品を経て、『カンタベリー物語』(1972)などしだいにエロティシズムをうたいあげる方向へ関心を傾斜させていたが、『ソドムの市』(1975)を完成した直後、19歳の少年に撲殺された。彼の映画は理論的関心に裏づけられており、論文として『ポエジーとしての映画』(1966)、論集に『異教的経験論』(1972)がある。

[出口丈人]

資料 監督作品一覧

アッカトーネ(乞食) Accattone(1961)
マンマ・ローマ Mamma Roma(1962)
ロゴパグ~「意思薄弱な男」 Ro.Go.Pa.G. - La ricotta(1962)
愛の集会 Comizi d'amore(1964)
奇跡の丘 Il vangelo secondo natteo(1964)
大きな鳥と小さな鳥 Uccellacci e uccellini(1966)
華やかな魔女たち~「月から見た地球」 Le streghe- La Terra vista dalla luna(1966)
アポロンの地獄 Edipo re(1967)
テオレマ Teorema(1968)
愛と怒り Amore e rabbia(1969)
豚小屋 Porcile(1969)
王女メディア Medea(1969)
デカメロン Il Decameron(1971)
カンタベリー物語 I racconti di Canterbury(1972)
アラビアンナイト Il fiore delle mille e una notte(1974)
ソドムの市 Salò o le 120 giornate di Sodoma(1975)

『米川良夫訳『あることの夢、アッカトーネ』(『現代イタリアの文学9』所収・1971・早川書房)』『米川良夫訳『生命ある若者』(『世界文学全集102』所収・1975・講談社)』『J・ハリディ著、波多野哲朗訳『パゾリーニとの対話』(1972・晶文社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パゾリーニ」の意味・わかりやすい解説

パゾリーニ
Pasolini, Pier Paolo

[生]1922.3.5. ボローニャ
[没]1975.11.2. ローマ郊外
イタリアの詩人,小説家,映画作家。反ファシズム闘争の時代に母方の郷里カザルサに疎開して,フリウリ地方の農民運動に参加した。ボローニャ大学を卒業後,1950年代後半には『オッフィチーナ』誌同人となり,グラムシ主義を掲げ,政治と文化の亀裂の超克を目指した。一方,早くから映画のシナリオを手がけ,実生活を支える文学としての方言詩,言語と芸術の関係などに強い関心を寄せて,前衛的な芸術論を発表した。 60年代後半からは,モラビアと第2次『ヌオービ・アルゴメンティ』誌を主宰し,言語実験主義者たちの行過ぎを批判して,サングィネーティ,バレストリーニら,新前衛派と鋭く対立した。主著は,詩作品に『最良の青春』 La meglio gioventù (1954) ,『グラムシの遺骨』 Le ceneri di Gramsci (57) ,『薔薇の形の詩』 Poesia in forma di rosa (64) ,『新しい青春』 La nuova gioventù (75) など。小説に『生命の著者たち』 Ragazzi di vita (55) ,『激しい生』 Una vita violenta (59) ,『あることの夢』 Il sogno di una cosa (62) ,『テオレマ』 Teorema (68) など。評論集に『情念と理念』 Passione e ideologia (60) ,『異端的経験論』 Empirismo eretico (72) ,『海賊評論集』 Scritti corsari (75) など。ほかに,小説とシナリオとの中間作品『野性の父』 Il padre selvaggio (75) がある。映画監督としても第1作の『乞食』 Accattone (61) 以来,ヨーロッパ文明の本質に迫る主題と大胆な映像美を追求した作品を発表。代表作『奇跡の丘』 Il vangelo secondo Matteo (64) ,『アポロンの地獄』 Edipo Re (67) 。 17歳の少年に路上で撲殺された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「パゾリーニ」の意味・わかりやすい解説

パゾリーニ
Pier Paolo Pasolini
生没年:1922-75

イタリアの詩人,作家,映画監督。ボローニャで生まれ,北イタリア各地で幼時を過ごした。はじめフリウリ方言で詩を書き,《カザルサ詩集》(1942)ほかを発表。1945年ローマに移る。小説《生命ある若者》(1955)はローマ方言と隠語により下層社会の生態を描く。小説《激しい生》(1959),詩集《グラムシの遺骨》(1957),《現代の信仰》(1961)では,貧しい民衆の純粋な生命力への共感(悲惨-救済)の観念が示される。次いで《薔薇(ばら)の形の詩》(1964)では,戦後の終焉,大衆的消費社会の到来が招いた詩人の危機を明かす。また《アッカットーネ》(1961)以降,自己脚本,監督の映画に活動を転じ,とりわけ聖書の直截な映像化《マタイ福音書》(1964,邦題《奇跡の丘》)が反響を呼ぶ。その後,現代の解体を描く《テオレマ》(1968),神話世界による《オイディプス王》(1967,邦題《アポロンの地獄》)や《王女メディア》(1970)などの映画作品に並行して,詩集《超人化と組織化》(1971),評論集《異端的経験論》(1972),《海賊評論集》(1975),また《妄言症》(1969)ほかの詩劇などを発表し,現代への絶望的な拒否と批判を表明し続けた。《デカメロン》(1971)ほかの映画〈生の三部作〉完成(1974)後,これをみずから否認し,遺作となった映画《サロー,あるいはソドムの120日》(1975)では徹底した醜悪さのみを描いた。その製作完了後,同性愛にからみローマ郊外で殺された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「パゾリーニ」の意味・わかりやすい解説

パゾリーニ

イタリアの詩人,作家,映画監督。《カザルサ詩集》(1942年),小説《不良たち》(1955年)などを著し,貧しい民衆に共感を示した。《もの乞い》(1961年)から自己の脚本・監督による映画の制作にも乗りだし,《マタイ福音書》(1964年。邦題《奇跡の丘》),《アポロンの地獄》(1967年),《テオレマ》(1968年),《王女メディア》(1970年),《ソドムの市》(1975年)などで才能を発揮したが,浮浪者に殺害された。
→関連項目カラスベルトルッチ

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android