イタリアの詩人、小説家、映画監督。生地のボローニャ大学卒業後、ローマに移る。詩集『グラムシの遺骨』(1957)など左翼的な詩人として、また『生命ある若者』(1955)、『激しい生』(1959)などの小説家として名をなした。具体的なイメージを積み重ねる詩的手法は映画界からも注目され、フェリーニ監督の『カビリアの夜』をはじめとする脚本を数多く担当したのち、『アッカトーネ(乞食)』(1961)で監督としてもデビューした。しだいにネオレアリズモやドキュメンタリーの影響を脱し、『奇跡の丘』(1964)、『アポロンの地獄』(1967)、『王女メディア』(1969)など、古典に現代的息吹を吹き込んだ独自の世界をつくりあげた。『テオレマ』(1968)など寓話(ぐうわ)的作品を経て、『カンタベリー物語』(1972)などしだいにエロティシズムをうたいあげる方向へ関心を傾斜させていたが、『ソドムの市』(1975)を完成した直後、19歳の少年に撲殺された。彼の映画は理論的関心に裏づけられており、論文として『ポエジーとしての映画』(1966)、論集に『異教的経験論』(1972)がある。
[出口丈人]
アッカトーネ(乞食) Accattone(1961)
マンマ・ローマ Mamma Roma(1962)
ロゴパグ~「意思薄弱な男」 Ro.Go.Pa.G. - La ricotta(1962)
愛の集会 Comizi d'amore(1964)
奇跡の丘 Il vangelo secondo natteo(1964)
大きな鳥と小さな鳥 Uccellacci e uccellini(1966)
華やかな魔女たち~「月から見た地球」 Le streghe- La Terra vista dalla luna(1966)
アポロンの地獄 Edipo re(1967)
テオレマ Teorema(1968)
愛と怒り Amore e rabbia(1969)
豚小屋 Porcile(1969)
王女メディア Medea(1969)
デカメロン Il Decameron(1971)
カンタベリー物語 I racconti di Canterbury(1972)
アラビアンナイト Il fiore delle mille e una notte(1974)
ソドムの市 Salò o le 120 giornate di Sodoma(1975)
『米川良夫訳『あることの夢、アッカトーネ』(『現代イタリアの文学9』所収・1971・早川書房)』▽『米川良夫訳『生命ある若者』(『世界文学全集102』所収・1975・講談社)』▽『J・ハリディ著、波多野哲朗訳『パゾリーニとの対話』(1972・晶文社)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
イタリアの詩人,作家,映画監督。ボローニャで生まれ,北イタリア各地で幼時を過ごした。はじめフリウリ方言で詩を書き,《カザルサ詩集》(1942)ほかを発表。1945年ローマに移る。小説《生命ある若者》(1955)はローマ方言と隠語により下層社会の生態を描く。小説《激しい生》(1959),詩集《グラムシの遺骨》(1957),《現代の信仰》(1961)では,貧しい民衆の純粋な生命力への共感(悲惨-救済)の観念が示される。次いで《薔薇(ばら)の形の詩》(1964)では,戦後の終焉,大衆的消費社会の到来が招いた詩人の危機を明かす。また《アッカットーネ》(1961)以降,自己脚本,監督の映画に活動を転じ,とりわけ聖書の直截な映像化《マタイ福音書》(1964,邦題《奇跡の丘》)が反響を呼ぶ。その後,現代の解体を描く《テオレマ》(1968),神話世界による《オイディプス王》(1967,邦題《アポロンの地獄》)や《王女メディア》(1970)などの映画作品に並行して,詩集《超人化と組織化》(1971),評論集《異端的経験論》(1972),《海賊評論集》(1975),また《妄言症》(1969)ほかの詩劇などを発表し,現代への絶望的な拒否と批判を表明し続けた。《デカメロン》(1971)ほかの映画〈生の三部作〉完成(1974)後,これをみずから否認し,遺作となった映画《サロー,あるいはソドムの120日》(1975)では徹底した醜悪さのみを描いた。その製作完了後,同性愛にからみローマ郊外で殺された。
執筆者:米川 良夫
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