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ギリシア神話のオリュンポス十二神の一人。ローマ神話ではアポロApollo。ゼウスとレトの子で,狩猟の女神アルテミスと双生の兄。おもに詩歌,音楽,予言,弓術,医術をつかさどるほか,法典を裁可し,道徳を鼓吹し,哲学を庇護するなど,人間のあらゆる知的文化的活動の守護神。また光明の神としてフォイボス(〈光り輝く者〉の意)なる呼称をもち,前5世紀以降は太陽神ヘリオスと同一視されることもあった。彼は一般にもっともギリシア的な神格とされるが,もともとは小アジアもしくは北方遊牧民に起源をもつ外来の神であったと考えられている。神話では,アポロンの生地はまだ浮島だったころのデロス島とされ,誕生直後に父神ゼウスから弓と竪琴を与えられた彼は,まず白鳥に運ばれて行ったヒュペルボレオイ(極北人)のあいだで1年を過ごしたあと,世界の中心としてオンファロス(〈へそ〉の意)の異名をもつデルフォイに来ると,大地女神ガイアの神託所の番をしていた大蛇ピュトンを射殺し,新たにみずからの神託所を開いたという。このほか,その職能が多方面にわたるうえに,りりしく美しい青年と想像されたアポロンをめぐっては,おびただしい数の神話が語り伝えられており,月桂樹に変容したニンフのダフネ,医神アスクレピオスの母となったコロニスKorōnis,円盤にあたって死んだ美少年ヒュアキントスらとの恋物語や,牧神パンとの歌競べなど,よく知られた話が多い。
崇拝の中心地はデルフォイとデロス島で,デルフォイの神託所では,結婚や病気といった個人的な問題から,植民市建設,和戦の決定などのポリスの重大事にいたるまで,ピュティアPythiaと呼ばれる巫女が神意を伝えた。ソクラテスの友人の問いに応じて〈彼以上の賢者はひとりもいない〉との託宣が下されたのも,このピュティアの口を通じてである。デルフォイではまたギリシア四大競技の一つに数えられるピュティア祭競技が4年ごとに催され,各種の芸文および運動競技の勝利者には,月桂樹(アポロンの聖木)の枝葉でつくった冠が与えられた。この神はイタリアへはエトルリアおよび南部のギリシア植民市を通じて入り,共和政時代のローマではおもに癒しと予言の神としてあがめられたが,前28年,アウグストゥス帝がパラティヌス丘に神殿を奉献して以来,アポロ・パラティヌスは〈最善最大のユピテル〉にも匹敵する大神となった。美術ではつねに理想的な青年として表現され,有名な彫刻にオリュンピアのゼウス神殿西破風のアポロン像(前460ころ),バチカン宮美術館蔵の《ベルベデーレのアポロン》(ヘレニズム期の作品の模刻)などがある。なお,〈アポロン的とディオニュソス的〉という美学上の対立概念は,夢想的・静観的芸術をアポロン型の芸術,陶酔的・激情的芸術をディオニュソス型の芸術と名づけ,両者の総合がギリシア悲劇にほかならないと論じたニーチェの処女作《悲劇の誕生》(1872)に由来するものである。
執筆者:水谷 智洋
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ギリシア神話の光明、医術、弓術、詩歌、音楽、預言、家畜の神。ラテン名はアポロ。母レトはゼウスの愛を受けたが、ゼウスの妻ヘラの嫉妬(しっと)を逃れてアポロンとアルテミスの双子の兄弟をデロス島で出産した。ゼウスはアポロンの誕生を知ると、息子に金の帽子と竪琴(たてごと)と白鳥の引く車を与えた。女神テミスに養育されたアポロンは、誕生後数日にしてりっぱな青年に成長し、武具に身を固めて戦車でヒペルボレオイの国へ旅立った。北の果てに1年間滞在したのち、ギリシアのデルフォイへ移り、そこで大地から生まれたピトンとよばれる大蛇を殺した。それを記念して、ピティア祭競技を創始したが、ついで彼はテミスの神託を自己のものとし、三脚台を神殿に捧(ささ)げた。この三脚台はアポロンのシンボルの一つで、デルフォイの巫女(みこ)ピティアがその上に座して神託を告げた。神の勝利と神殿の占有をたたえたデルフォイ住民の「パイアン」というアポロン賛歌を聞きながら、アポロンは大蛇殺しの穢(けがれ)を清めるために北方のテンペの谷へ向かった。そののち、神の勝利と清めの旅を記念して、セプテリアという祭りが8年ごとに行われたという。やがてデルフォイに神託を求めにきたヘラクレスは、それを拒否されたために神殿で狼藉(ろうぜき)を働くが、このときアポロンはこの英雄と闘い、ゼウスの仲裁で引分けとされた。
アポロンは美しい青年の神であり、したがってその恋の物語も数多い。ニンフのキレネからはアリスタイオスを、コロニスからはアスクレピオスを、ムーサのタレイアからはコリバスたちを、そしてウラニアからは音楽家リノスとオルフェウスを得ている。トロヤ王プリアモスの后(きさき)ヘカベもアポロンを恋してトロイロスを生み、また、預言者モプソスもアポロンとマントとの子と伝えられる。アポロンは、さらにヒアキントスやキパリソスといった美少年との恋も経験している。伝承によれば、ダフネだけがアポロンの求愛を拒否して月桂樹に変身したという。アポロンは幾たびか試練を経験しているが、そのなかでもポセイドン、ヘラ、アテネと謀ってゼウスを縛り、空中につり下げようと試みたが、かえってゼウスの怒りに触れ、ポセイドンとともにトロヤの城壁を築く役目を与えられたり、キクロペスらを殺した罰でアドメトスの下僕にされた話などが有名である。
またアポロンは、光の神として「フォイボス」ともよばれ、ときには太陽と同一視されるが、これはアポロンがギリシア人、さらにその後のローマ人にとっても知性と文化の象徴であったことによる。
[小川正広]
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
古代ギリシアの男神。ローマではアポロ。音楽,弓,預言,医術などを職能とし,全ギリシアで崇拝された。ことにデルフォイのアポロン神殿はその神託をもって有名だった。しばしば青年の姿で表現される。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…1910年代,ロシア革命の前夜に,当時のブルジョア文化の危機的状況のなかに生まれたロシア詩におけるモダニズム的傾向をいう。主として〈詩人組合(ツェフ・ポエートフ)〉のグループの詩人たち,グミリョーフ,ゴロデツキー,アフマートワ,マンデリシュタム,クズミンM.A.Kuzmin,ゼンケビッチM.A.Zenkevich,ナルブトV.I.Narbut,サドフスキーB.A.Sadovskiiらが詩誌《アポロン》(1909‐17)を牙城にその主張を展開した。アクメイズムの名称はギリシア語の〈アクメ(最高頂)〉からきており,アクメイズムの詩人たちはロシアのシンボリズムの美学に反発して,神秘的な彼岸への探究をやめ,可視的な現実を重視し,具象的な言語で物事を正確に表現しようとした。…
…この先,彼の最期についてはさまざまの伝承がある。2人の仲を心配した兄神アポロンが妹のアルテミスをだまして,沖で遊泳中のオリオンを遠矢で殺させたとする説,オリオンがアルテミスを犯さんとしたため女神に射殺された,あるいは女神の放ったサソリに刺されて死んだとする説,さらには,オリオンは曙の女神エオスに恋人としてさらわれたが,それが他の神々の不興を招いたため,デロス島でアルテミスに射殺されたとする説等である。死後,彼は天に上げられて星となり,アトラスの七人娘プレイアデス(すばる)を追いかける一方,みずからはつねにさそり座の星から逃れようとしているという。…
…日当り良好な土地を好む。【星川 清親】
[神話,民俗]
ギリシア神話によれば,愛の神エロスを嘲笑(ちようしよう)したアポロンは罰として黄金の矢を射られ,ニンフのダフネを熱愛してしまった。拒絶する彼女をペネイオス河畔へ追いつめたところ,彼女はゲッケイジュに変身して純潔を守ったという。…
…同じような神話には,メレアグロスの死を嘆いて,アルテミスにホロホロチョウに変えられた彼の姉妹たちの涙が,やはりコハクになったというのがある。また別の伝承では,アポロンがオリュンポス山を追放されてヒュペルボレオイの地へ行ったとき,コハクの涙をこぼしたともいう。さらに北欧神話を見ると,女神フレイヤが英雄スウィプダグを探しているとき,女神の涙がコハクに変わったというエピソードがある。…
… 彼らを主人公とする有名な物語によれば,漁師が海中から引き上げた黄金の鼎(かなえ)を,デルフォイの神託はもっとも賢い人に贈れと命じた。そこでタレスに贈られたが,彼はこれをビアスに譲り,かくて7人の間を一巡することになり,結局アポロン神に奉納されたという。このように人間の分を守ることが七賢人の処世訓の核心にあり,同様のことを説くデルフォイのアポロンの宗教とも密接な関係があった。…
…そこで,天界を羽をもってとび回る使者,メルクリウスの名が与えられている。古代には,夕方見える水星と明け方見えるものとは別の星と考え,ギリシアでは日の出前に見えるときにはアポロン,日没後に見えるときにはヘルメスと呼んだ。古代中国では辰星と呼ばれた。…
…中国では副葬品として含蟬と称するものがあった。ギリシアでは〈黄金のセミ〉がアポロンの持物であり,また日の出とともに鳴き始めるので暁の女神エオス(ローマではアウロラ)の持物ともされる。 日本の子どもはセミをとるのに細い竹竿の先にとりもちを塗ったものか,口径の小さい捕虫網を用いるが,東南アジアでは木の幹にとりもちを塗って大量のセミをとり,油いため,空揚げにして食する。…
…テッサリア地方の河神ペネイオスPēneiosの娘。彼女を恋したアポロンに追われて,まさにその手中に落ちんとしたとき,父神に助けを求め,月桂樹に姿を変えられた。以後,この木はアポロンの聖木となり,月桂冠が勝利者の頭を飾ることになったという。…
…ギリシア中部のパルナッソス山の南麓にあるアポロンの聖地,神託地。伝説によれば,この地は初め大地の女神ガイアの聖地で,ピュトンPythōnと呼ばれる大蛇に守られていたが,アポロンがこれを射殺して神託所を開いたといわれる。…
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[《悲劇の誕生》]
この時期に書かれたのが処女作《悲劇の誕生》(1872)である。有名な〈アポロン的〉と〈ディオニュソス的〉の二つの概念を軸にして古代ギリシアにおける悲劇の成立,隆盛,そして没落が描かれている。アポロンは夢の神であると同時に,夢で見る光り輝く形象の神であり,その形象の規矩正しさという点で知性の鋭敏さに通じる神である。…
…ギリシア神話で,アポロンに愛されたアミュクライ(スパルタ近くの町)の美少年。アポロンと円盤投げに興じていたとき,アポロンの投げた円盤にあたって死んだ。…
…英語パイソンの語源。大地女神ガイアの神託所の番をしていたが,アポロンに退治された。アポロンはその罪滅ぼしに,葬礼競技ピュティア祭の開催を定め,新たに開いたみずからの神託所の巫女にはピュティアPythiaの名を与えた。…
…ギリシア伝説で,篤(あつ)くアポロンを崇拝する〈極北人〉。北風(ボレアスBoreas)のかなた(ヒュペルhyper)の四時光明に輝く国で至福の生を送っていると考えられた。…
…信仰の対象とされることはまれであったが,ロドス島民だけは熱心に彼を崇拝し,前3世紀にはロドス港の入口に古代世界の七不思議に数えられる巨大な太陽神像が立っていた。彼はしばしば光明の神アポロンと,また古代ローマ人からは彼らの太陽神ソルSolと同一視された。【水谷 智洋】。…
…ローマ人からはメルクリウスMercurius(英語ではマーキュリーMercury)と同一視された。ゼウスと巨人神アトラスの娘マイアMaiaの子としてアルカディア地方のキュレネ山の洞穴で生まれた彼は,誕生早々,ゆりかごを抜け出してアポロンの飼っていた牛の群れを盗み,足跡を消すために牛にわらじをはかせて洞穴へ連れ戻った。また亀を見つけると,その甲羅に牛の腸の筋を張って竪琴を発明した。…
…以来,この川は砂金を産するようになったという。またリュディア地方の名山として知られるトモロスの山の神を審判役にしてアポロンと牧神パンが音楽の競技をしたとき,ミダスはアポロンに軍配をあげた山の神に異議を唱えてアポロンの怒りを買い,耳をロバの耳にされた。王はこれを恥じて頭巾で頭を包んでいたが,おかかえの床屋にだけは知られてしまった。…
※「アポロン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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