日本大百科全書(ニッポニカ) 「新前衛派」の意味・わかりやすい解説
新前衛派
しんぜんえいは
Neoavanguardia
1960~70年代にイタリアにおこった文学運動。言語実験主義と反体制運動とが複雑に絡まり合って、詩におけるエルメティズモ(錬金術主義)批判と散文におけるネオレアリズモ批判とを骨子にした。A・ジュリアーニ編の実験詩アンソロジー『最新人』(1961)に結集した詩人たち、E・サングイネーティ、E・パリアラーニ、N・バレストリーニ、A・ポルタらが中心になり、63年にパレルモで第1回集会を開いたことから「63年グループ」ともよばれる。ベトナム反戦、学園闘争の時期には、先鋭な思想の同人誌『クインディチ』を発刊した。他の有力メンバーにU・エーコ、R・バリッリ、A・グリエルミ、E・フィリッピーニらがいた。
1970年代に入ると、新前衛派は分裂する。1970年代から80年代にかけて、反体制運動が、思想の面だけにとどまるものと、過激な行動を実践するものとに分かれた。大出版社主フェルトリネッリの爆死(1972)、映画に新生面をひらきつつあったパゾリーニの撲殺(1975)、武装集団ブリガーテ・ロッセ(赤い旅団)による元首相モーロの誘拐殺害(1978)など、相次ぐ社会事件のなかで、責務を負った新前衛派の運動は分断され、個人の活動に還元されていった。
そういう状況のなかで左翼知識人の大量逮捕を伴う「4月7日事件」(1979)が起こった。月刊誌『アルファベータ』を編集発刊していたバレストリーニを初め、元「新前衛派」の文学者たちも、激しい弾圧の下にさらされた。バレストリーニらはパリに亡命する。しかし事件が当局の捏造(ねつぞう)であり、バレストリーニらの無罪が確立したのは、1984年になってからである。
ところで、2001年は、日伊両政府の合意により、「日本におけるイタリア年」と定められた。その最初の行事として、東京の銀座と九段で、「詩の祭典」が催された。そして文化使節に、1960年代前衛を代表するサングイネーティ、バレストリーニ、ジュリアーニ、レオネッティ、アルバジーノ(パリアラーニは腰痛のため欠席)らが来日した。思いもかけなかった、彼らの来日と詩的活動によって、新しい世紀の始まりを目ざす、イタリア文学の現状が、かなり明らかになった。
[河島英昭]
『河島英昭「サングイネーティ――深い流れの淵からの声」(『すばる』2001年7月号所収・集英社)』