弦楽器の一族の名称。ルネサンス・バロック時代のヨーロッパには2種類の弓奏弦楽器が共存していた。ビオラ・ダ・ガンバ(脚のビオラの意)と,ビオラ・ダ・ブラッチョviola da braccio(腕のビオラ。バイオリン)である。おのおの大小相似の楽器で一族を構成している。前者は室内楽に,後者は祝祭・劇場・教会の音楽に尊重された。J.J.ルソーの〈心を和らげるためにガンバを,活気づけるためにバイオリンを〉という言葉は,この二つの楽器の性格をよく表している。ガンバは中世以来の楽器をもとに,15世紀末に発明された。バイオリンと形も似ているし,構成部分も同じであるが,共鳴胴はなで肩,C字形の響孔,平らな裏板,薄く軽い構造,弦は6本で四つの4度と一つの長3度による調弦法,棹は長く薄く,ギターのようにフレットをもっているなどの違いがある。大きさは6種ほどあり,よく使用される楽器の弦長はトレブル(ソプラノ)35~36cm,テノール46.5~48cm,バス70~72cmである。大・小ガンバとも縦に脚で挟むようにして保持され,弓は東洋の弓奏弦楽器のように下手に握って演奏される。楽器の構造,性能はルネサンスからバロックに向かって発展があり,製作技術は1700年前後に頂点に達する。著名な製作家はオーストリアのシュタイナーJakob Stainer(1617?-83),ドイツのティールケJoachim Tielke(1641-1719),イギリスのノーマンBarak Norman(1670ころ-1740ころ),フランスのピエレーClaud Pierrayらがあげられる。イタリアではこの時期になるとガンバの使用は衰え,ほとんど製作されていない。
16~17世紀の音楽生活に,大小のガンバによる合奏(イギリスでは〈コンソートconsort〉といった。ダウランドの舞曲集《七つの涙》など)は重要な役割を演じた。とくにイギリスでは盛んで,ジェームズ1世,チャールズ1世などもガンバ愛好家であった。16世紀末ガンバは宣教師によって日本にもたらされている。安土のセミナリオで少年たちの演奏に織田信長が好んで耳を傾けたことが伝えられている。一方,独奏楽器としても16世紀中ごろからすでに独特な世界を展開しはじめた。教則本がガナッシSilvestro Ganassi(2巻。1542,43),オルティスDiego Ortiz(1553)によって出版された。17世紀後半になると,トレブル,テノールなどは,すっかりバイオリンに席を譲ることになるが,バス・ガンバだけは広い音域,独特な音色など大きな表現力ゆえに,18世紀後半まで使われた。バロックを代表する大作曲家ブクステフーデ,J.S.バッハ,ヘンデル,テレマン,クープラン,また演奏家でもあるフランスのマレーMarin Marais(1656-1728),フォルクレーAntoine Forqueray(1671ころ-1745)とその息子Jean-Baptiste Antoine F.(1699-1782),オランダのシェンクJohannes Schenck(1660-1712ころ)らが,他の楽器では代用できないガンバ固有の作品を多数残している(J.S. バッハの《3曲のガンバ・ソナタ》(BWV1027~29)《マタイ受難曲》,マレーの《リュリ氏の墓》ほか約600曲を含む5巻の《ビオル曲集》(1686-1725など))。18世紀末,新しい音楽様式,音量と音の性格についての新しい社会的要求にしたがって,ガンバは忘れられた。1世紀以上顧みられることがなかったが,20世紀,とくに第2次世界大戦後に専門家だけでなく愛好家による〈ビオラ・ダ・ガンバ協会〉(イギリス,アメリカ,日本)が,かつての私的な音楽づくりのあり方を,今日の生活に復活させる運動を活発に進めている。日本では1964年ころから演奏されるようになった。
執筆者:大橋 敏成
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ヨーロッパ16、17世紀に愛好されたリュート属擦弦楽器。トレブル、テナー、バスからなる狭義のビオール族と同義であるが、バスだけをさす場合もある。「脚(あし)のビオラ」の意味で、単にガンバともよばれる。
その形成発展については種々の説があるが、15世紀ころレベック(擦弦楽器)、ビウエラ(撥弦(はつげん)楽器)から発達して現れ、16世紀中ごろビオラ・ダ・ブラッチョとビオラ・ダ・ガンバに分かれたとされる。ビオール族の中心である後者は、バイオリン族となる前者とは構造上いくつかの相違点をもつ。すなわち、ビオラ・ダ・ガンバは胴がなで肩で厚く、裏板は平らで上端が棹(さお)に向かって傾斜している。響孔はC字型や火炎型が多く、棹は幅広く七つのフレットをもち、弦は6、7本で細い。大きさは歴史的にさまざまであるが、コンソート(合奏)にはトレブル(弦長約36センチメートル、D3―G3―C4―F4―A5―D5に調弦)、テナー(弦長約47センチメートル、G2―C3―F3―A3―D4―G4に調弦)、バス(弦長約71センチメートル、(A1)―D2―G2―C3―E3―A3―D2に調弦)が多用される。
構え方は、バスはふくらはぎで、テナーはももで挟み、トレブルは膝(ひざ)の上にのせて、いずれも左手で垂直に支える。弓はバイオリンなどと異なり、下から手のひらを上にペンを持つように構え、中指で毛を手前に押して張力を変えながら水平に運ぶが、弓を押し出す上げ弓でアクセントがつけられる。こうした持ち方と運弓法のため、弓に腕の重みがかからず、大きな音や強いアクセントを出すことはできない。しかし、弦の張力が弱くフレットがあるため、左手は指の形を気にせずに、速い楽句も容易である。また、長3度を挟んだ4度の調弦法はリュートと同じであり、同じ指づかいで奏することも可能である。
この楽器は15世紀から合奏に用いられていた記録があるが、最初の合奏曲と独奏曲はドイツのゲルレの曲集(1532)とイタリアのガナッシの教則本(2巻。1542、1543)にみられる。16世紀にイタリアの音楽家が伝えたガンバ音楽はイギリスで黄金時代を迎え、シンプソンらの優れた教則本をはじめ、タリス、バード、ギボンズのファンタジアや、ジェンキンズのパバーヌからパーセルに至る多くの名曲がつくられた。17世紀にはフランスで人気を獲得し、J・J・ルソーの論文、クープラン、ラモーの組曲や室内楽がつくられ、マレー、フォルクレーらの名手も生まれた。このほか、宗教曲に用いたドイツをはじめ全ヨーロッパに広まるが、しだいにバイオリン族の楽器が多用されるようになり、18世紀後半のアーベルが最後の名手となった。20世紀初めからドルメッチとその弟子たちによって正確な復原が企図され、グリュンマーらの名手も輩出、近年では欧米各国や日本にもガンバ協会が設立され、演奏活動も盛んに行われている。
[横原千史]
『Nathalie DolmestonThe Viola da Gamba(1962, New York)』
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