ビキニ環礁(読み)ビキニカンショウ(その他表記)Bikini Atoll

翻訳|Bikini Atoll

デジタル大辞泉 「ビキニ環礁」の意味・読み・例文・類語

ビキニ‐かんしょう〔‐クワンセウ〕【ビキニ環礁】

Bikini》⇒ビキニ

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精選版 日本国語大辞典 「ビキニ環礁」の意味・読み・例文・類語

ビキニ‐かんしょう‥クヮンセウ【ビキニ環礁】

  1. ( ビキニはBikini ) 太平洋西部、ミクロネシアマーシャル諸島北西部のラリック列島北端にある環礁。もとアメリカ合衆国の信託統治領で、一九四六年以来原水爆の実験場となり、一九五四年三月の実験では日本漁船の第五福龍丸が被災した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ビキニ環礁」の意味・わかりやすい解説

ビキニ環礁
ビキニかんしょう
Bikini Atoll

西太平洋,マーシャル諸島北西部の環礁。長さ 40km,幅 24kmほどの楕円形礁湖を囲む礁上に,約 20のサンゴ島がある。第2次世界大戦中アメリカ合衆国軍が占領原子爆弾実験場(核実験場)に決まると,住民は南東に約 800km離れたロンゲリク島,のちにキリ島に強制移住させられた。最初の核実験は 1946年7月1日に行なわれ,20ktの原子爆弾によって 80隻もの廃船標的艦が爆破された。2度目の実験は同年7月25日,水中爆発によって 9隻の標的艦が沈んだ。1954年3月1日の水素爆弾実験では,付近のロンゲラップ環礁の住民および近海の禁止区域外で操業中だった日本の漁船『第五福竜丸』などが放射性を帯びた「死の灰」(→放射性降下物)を浴び,深刻な被害を受けた(→第五福竜丸事件)。核実験はエニウェトク環礁とともに 1958年までに 60回以上にわたって実施され,この地域の自然と住民にはかりしれない深いきずあとを残した。1969年以降アメリカ政府によって放射能で汚染された表土の入れ換えなどの環境修復が試みられたが,住民は戻っていない。2010年,核実験の威力を伝えるうえできわめて重要な証拠が保存されているとして,世界遺産文化遺産に登録された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビキニ環礁」の意味・わかりやすい解説

ビキニ環礁
びきにかんしょう
Bikini Atoll

太平洋中西部、ミクロネシア、マーシャル諸島に属する環礁。旧名エショルツEscholtz環礁。36の小島が東西34キロメートル、南北18キロメートルの楕円(だえん)形をなして礁湖を取り巻き、南東隅の幅14キロメートルのエニュー海峡が入口となっている。1946年からアメリカの核爆発実験場となり、167人の住民は北方のロンゲリクRongerik島に移され、さらにキリーKili島に転住させられた。1954年の水爆実験に際し、近海で操業中だった日本漁船第五福竜丸に「死の灰」が及び、無線技師久保山愛吉(くぼやまあいきち)の被爆死を招いた。実験は58年に終わり、68年以来住民の帰島要求が起こった。残存放射能調査のうえ、帰島を許可したが、その後も影響が残っている。人口13(1999)。

 なお、ビキニ型の水着は最初の核実験が行われた1946年にパリで発表され、衝撃的なデザインのためこの島名がつけられた。

[大島襄二]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ビキニ環礁」の解説

ビキニ環礁(ビキニかんしょう)
Bikini

太平洋中部,ミクロネシアマーシャル諸島中にある環礁。第二次世界大戦後,アメリカの国際連合信託統治領となり,1946年から58年までアメリカの核爆発実験場となった。54年の水爆実験では第五福竜丸事件を起こした。

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