ビレンドラ(読み)びれんどら(その他表記)Birendra Bir Bikram Shah Dev

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビレンドラ」の意味・わかりやすい解説

ビレンドラ
びれんどら
Birendra Bir Bikram Shah Dev
(1945―2001)

ネパール国王在位1972~2001)。インド、イギリス、日本、アメリカに留学。1972年1月父の国王マヘンドラMahendra Bir Bikram Shah Dev(1920―1972)死去とともに即位。漸進的改革を目ざし、同年国家開発会議を設立、自ら議長となるが、民主主義を求める国内の政治状況は厳しく、1974年には国王暗殺未遂事件が起きた。1975年に改定した憲法にかえて1980年に新憲法を発布し、国会議員の直接選挙など王権の若干の縮小を実施。外交では前王以来の非同盟政策を維持するが隣の大国、中国、インドとの友好を強調。1985年以来のネパール平和地帯宣言を外交の基本とした。1985年12月に発足した南アジア地域協力連合(SAARC)にも加盟。1980年代末から始まる民主化運動の結果、1990年に新憲法が制定された。同憲法のもとで国王の権限は大幅に削減され、それ以降は政治の前面に出ることはあまりなくなった。2001年6月、宮殿内の夕食の席上で、皇太子ディペンドラDipendra Bir Bikram Shah Dev(1971―2001)による発砲と思われる銃撃事件のため死亡。この事件の真相はいまなお不明である。

[内藤雅雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ビレンドラ」の意味・わかりやすい解説

ビレンドラ
Birendra Bir Bikram Shah Deva

[生]1945.12.28. カトマンズ
[没]2001.6.1. カトマンズ
ネパール国王 (在位 1972~2001) 。マヘンドラ国王の第1皇子。 1959年イギリスのイートン校で学び,卒業後ソ連その他の諸国を訪問。 66年中国を訪問,毛沢東と会見した。 67年東京大学,68年ハーバード大学に留学し,近代工業国家の建設について研究。 72年1月 31日父王の死去で第 10代国王として即位。 73年9月アルジェの非同盟諸国首脳会議出席,非同盟外交を推進し,国内の経済開発にも力を注いだ。 75年2月戴冠式後のレセプションで,ネパールを「平和地域」として認めるよう各国に呼びかけた。 2001年長男の皇太子によって暗殺されたとされる。

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世界大百科事典(旧版)内のビレンドラの言及

【ネパール】より

…しかし,父王死亡の後1955年から王権を継いでいたマヘンドラ王は60年末陸軍を動員し首相,大臣などを逮捕して全権を掌握,政党政治を廃止し,〈パンチャーヤット民主主義〉体制をしいた。72年マヘンドラ王が死去し,息子のビレンドラBirendraが王位を継承した。1990年の〈民主化〉による新憲法では主権在民が明記され,政党政治が復活し,国王は象徴とされたが,なお非常事態宣言を発するなどの権限も保持している。…

※「ビレンドラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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